緊急事態宣言を受け休館となっていた各地の美術館・博物館が、再開の動きを見せている。そのうち、西宮市大谷記念美術館では、6月1日、時間指定の予約制を導入するなどの感染症防止対策を取り、約2か月ぶりに再開。4月4日に開幕も、4月8日から休館を余儀なくされていた「メスキータ展」が、6月27日まで会期を延長して開催される。【※当該イベントは終了しました】
「メスキータ」って誰?
本名は「サミュエル・イェスルン・メスキータ」。これまで日本ではほとんど知られてこなかったオランダの画家・版画家でありデザイナーだ。1868年、オランダ・アムステルダムで、ユダヤ人の家庭に生まれた。美術家を目指すもかなわず、建築の道へ。美術学校では教壇にも立った。25歳ごろ、初めてエッチングに取り組み、木版画を制作するなど、19世紀末から20世紀にかけて活躍した。美術学校の教え子の中にはM.C.エッシャーも。だまし絵で有名なエッシャーは、メスキータを生涯の師と仰ぐほど大きな影響を受けていて、初期の作品はメスキータの作品とよく似たところが見られる。
メスキータの作品にはデザインの要素とアートの要素が詰まっている。最大の魅力は木版画の力強い表現。輪郭を彫るのではなく、例えば動物では毛並みを彫ることでシルエット・形を浮かび上がらせる。細い線や太い線の組み合わせで、影や立体感も表現している。またハールレムの市庁舎を描いた作品は、とても直線的で、建築や図面の要素が含まれていることが見て取れる。
西宮市大谷記念美術館の下村朝香学芸員は「ざっくばらんに彫っているのかと思うが、すごく緻密に計算されているのではないか」と話す。
さらに、版画では彫り進めていくことによって、作品が変わっていく。これをステートという。今回の特別展では同じ作品でもステート違いのものが並べて展示されており、どのような作業を経て作品が完成したのかがわかる。また作品によって変わる線のシャープさや柔らかさは、メスキータのまなざしそのものを表しているように感じる。
ユダヤ人の家庭に生まれたメスキータが生涯を閉じたのは1944年。1月31日の夜、妻、息子とともにナチスに拘束されると、アウシュビッツの強制収容所に送られ、そこで2月11日ごろ、殺された。
アトリエにはたくさんの作品が残され、これを救い出したのが、教え子であるエッシャーとその友人たちだった。彼らは命がけで作品を保管し、戦後すぐに展覧会を開催。メスキータの名前が忘れられず残ったのは、エッシャーたちの力があったからだといわれる。
西宮市大谷記念美術館
http://otanimuseum.jp/