丹波篠山市、城下町を歩く(2)『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』

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 明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。4回にわたって、大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台の1つ、丹波篠山市の城下町シリーズをお届けしています。前回は上二階町と春日神社を訪ねましたが、2回目の今回(6月11日放送回)も古い街並みが残る中心部の名所を探訪します。

丹波篠山 大正ロマン館

◆丹波篠山 大正ロマン館

 まずは丹波篠山市役所のすぐ近くにある「丹波篠山 大正ロマン館」です。毎年秋に行われる恒例の兵庫県高校駅伝大会のスタート地点としても知られています。篠山城の三の丸駐車場から北へ。市道大手線の一丁北の角にあります。神戸北野異人館のような洋風のもので、板張りで油ペンキが塗ってあり、まさに異人館風の建物です。

 篠山の町役場として建てられ、役場が別の場所に移ったあとは修理のうえ観光施設に。趣があり、特に屋根の一番上に塔があるのも特長です。昔の『火の見櫓』だったのかもしれません。入口の破風を見ると、円形のものと三角の千鳥破風のようなものが組み合わさり、ユニークな個性ある建物です。

◆青山歴史村(丹波篠山デカンショ館)

 旧篠山藩主青山家の別邸。江戸期の歴史と文化の資料が数多く展示されています。丹波篠山デカンショ館では、丹波篠山の歴史と文化を歌詞にのせて歌ったデカンショ節など日本遺産のまち丹波篠山を紹介しています。

伊能忠敬

◆『伊能忠敬笹山領測量の道』

 篠山城の北側に出て市道大手線の道路脇に石碑があります。ちょうど200年ほど前、文化11(1814)年に伊能忠敬が日本の海岸線の測量をしました。その後、内陸部も調査するのですが、ここ篠山の地にもやってきています。文化11年2月5日にこの地を訪れ宿泊したそうです。測量隊は約10人と、それを手伝う地元の131人で篠山を測量。

◆石碑のささやまの字は『笹山』!

 昔の記録では『ささやま』の『ささ』の字は『篠』や『笹』を使いました。このお城のある辺りは盆地の中央にある小高い丘で笹が生えていたから、というのがひとつの説。あるいは神聖な丘だったから『聖々山』と書いて『ささやま』と言ったという説もあります。ちょうどこの記念碑の前から東南を見れば中世の山城八上山が見えています。伊能忠敬は1800年代に日本の海岸部を歩いて測量し地図を作りました。

 明治になり地図の正確な国は文化水準が高いことから、イギリスが日本はどの程度の地図を持っているかと『地図を見せて欲しい』と言ったとき、この地図(伊能忠敬の作った地図)を見て、とても正確な地図だと感嘆しました。明治になる約50年前に笹山でも測量が行われました。

◆歴史美術館(旧篠山地方裁判所)

 お城の北の二階町を少し東へ戻ったところにあります。明治24(1891)年に建てられた木造の裁判所を美術館に改修。古くからの美術工芸に優れていた丹波篠山ならではの名品の数々が展示されています。

◆武家屋敷安間家史料館

 お城の西側には御徒町があり徒歩で戦いに参加する侍達(騎馬武者とちがって)のお屋敷が残っています。その一角にあるのが武家屋敷安間家資料館です。安間家は篠山藩主青山氏の家臣の標準的な徒士住宅だったもの。当時の侍達の暮らしぶりが伺える資料が展示されています。

◆王地山(公園)

 篠山の城下町から、かなり東にはずれたところにある小高い丘、王地山。八上の山城を盆地の平地へ移そうという時にこの丘もお城にしたらどうかという候補地のひとつになりました。結局ここにはお城が建てられずに、その西の篠山にお城が作られました。

 篠山城を中心にしてゆっくり散策すると、お城の北側に美術館や歴史村あるいは二階町の街並みがあります。そしてお城の西側には武家屋敷が残り、東には河原町の商家群、町をはずれた東の丘の上、王地山の上に「王地山まけきらい稲荷」があります。

王地山まけきらい稲荷
王地山まけきらい稲荷

 歩いて全体を回ると1日楽しめます。お茶でも飲んでゆっくりという風にされ1泊2日くらいかけて回っても面白い城下町です。

番組
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん

『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年6⽉11⽇放送回音声

ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波 | ラジオ関西 | 2020/06/11/木 17:35-17:50

放送後1週間聴取可能、エリア内無料 radikoプレミアム会員はエリア外聴取可

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