明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。4回にわたる丹波市内の歴史を訪ねるシリーズ、4回目の7月23日放送回では、『織田信長の子孫がおさめた町』柏原を散策。番組パーソナリティーである「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授が解説します。構成は同じくパーソナリティーを務める久保直子さんです。
丹波市役所柏原支所前にある織田神社の前に立つと、ちょうど目の前に大きなけやきの木があります。樹齢約1000年といわれ、小さな川をまたいで根っこが川の対岸まで伸び橋のようになっていることから「木の根橋」といわれ、兵庫県の文化財に指定されています。
柏原支所の建物は旧氷上郡柏原町役場の建物として1935(昭和10)年に建設されました。丹波市役所の分館として現在も利用されています。
木の根橋のすぐ西側に織田神社があります。柏原のお殿様は途中、幕府直轄の天領になった時期がありますが、その前も後も織田家が藩主でした。最初のお殿様は信包(のぶかね)。
大河ドラマ「江姫」でも描かれましたが、江姫が生まれた年に父の小谷城が落城し、娘たちの命は救われるものの、殺した浅井長政の娘を信長が育てるわけにはいかず、弟に頼みます。その弟というのが織田信包です。
信包の子ども、孫と、三代織田家が続くも、あとが絶え、そのため柏原藩は幕府直轄領になるのですが、その後また、今の奈良県にあった信長の息子の子孫の一族である織田家から、お殿様が転勤してくることに。
徳川幕府にとって織田家といえば豊臣家よりもう一つ前の、目の上のたんこぶ的存在。ぞんざいに扱えないものの、存在はあまり大っぴらにしたくないわけです。
そのため、この織田家のお殿様は大名ですが、城主としての格をもらっていないんです。城主の格を持っていない大名の館なので、柏原藩陣屋でした。この地には織田神社という織田一族を祭っている神社があり、織田神社の北側にあるこんもりとした山には八幡神社があります。
丹波があり、西北に但馬、東北に丹後、この3つの地域の人々の信仰を集めていたため、八幡神社のお祭りはお参りの人で物すごい人出となります。面白いのは八幡神社の建物のすぐ隣に三重塔が残っていることです。(神仏習合)
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年7⽉23⽇放送回音声