我慢は、忍耐や辛抱とは全く意味が違うもの ラピス和尚の辻説法 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「我慢」は、忍耐や辛抱とは全く意味が違うもの ラピス和尚の辻説法

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 毎週日曜午前8時からのラジオ番組『ラピスモーニング』(ラジオ関西)で、神戸大倉山・楠寺瑠璃光苑の住職、「ラピス和尚」さんの楽しい仏教うんちくを届けています。日頃なにげなく使っている言葉が、思いもよらない“ふか~い”意味を持っているというわけで、そんな感動をラジトピで連載していきます。9月13日放送回の辻説法、「我慢」(がまん)です。

我慢

「我慢」といえば、「アイスクリーム食べたいわ~! でも、昨日も食べたから、我慢がまん」など、1日に何度も口にしている言葉ですね。

 ただ、「我慢」とは忍耐や辛抱と混合されがちですが、全く意味が違うそうです! ラピス和尚はこう言います。

「慢」とは、おごり高ぶって、物事を正しく見られないという意味とのこと。「慢心」「傲慢」と聴くとなるほど納得ですね。

 そして、心の状態で7つにわけた「七慢」は、「慢」、「過慢」、「慢過慢」、「我慢」、「増上慢」、「卑慢」、「邪慢」。4番目に「我慢」がありました!

「我慢」とは、我を張りすぎるあまり、その我に耐え忍ぶことになってしまう状態だそうです。

 あるがままに生きられていない……。なるほど! いろいろな誘惑を感じたとき、一度考えてみたい言葉です。

ラピス和尚

※みなさまの知りたい禅語もぜひお寄せください!
ラジオ関西『ラピスモーニング』(lps@jocr.jp)まで。



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