明智光秀ゆかりの地として注⽬される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多⾯的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関⻄)。9⽉24⽇放送回では、⿊井城跡地域活性化委員会委員⻑の吉住孝信さんとともに、⼤河ドラマ『麒麟がくる』で脚光を浴びる荻野(⾚井)直正や黒井城の魅力を中心に語り合いました。番組パーソナリティーは、「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授と、久保直⼦です。
◆丹波の赤鬼
黒井城主、戦国大名・荻野(赤井)直正はどんな人物だったのでしょうか。
「非常にスケールの大きな方で情報の収集力に長けた、来るべき新しい時代を見据えていた人物だったようです」(吉住さん)
近畿地方をおさえた織田信長が次に中国の毛利を攻撃する際、瀬戸内海側を羽柴秀吉に、日本海側を明智光秀に進軍させます。京都府側の丹波の地域は明智光秀に抑えられますが、対抗したのが多紀郡の波多野秀治と氷上郡の荻野(赤井)直正です。
地元丹波の方々は荻野(赤井)直正についてどんな気持ちを持っておられるのでしょうか……。
「やはり、明智光秀を破った『丹波の赤鬼』という印象があり、誇りに思っているという感じがあります」(吉住さん)
明智が攻めてくるまでは、波多野とは対立していましたが、明智が攻め込んできたときに、こっそりと波多野と結んで背後から襲わせるという策略(呼び込み戦法)をしました。ところが、再び明智勢が攻撃してきたときには包囲され、直正自身が病気で亡くなってしまいました。
「戦場で大きなケガをされたのが原因だと言われています。もし、この病気がなければ、また違う方向になっていたかもしれません」(吉住さん)
◆黒井城跡の雲海
丹波市のもみじMAP(丹波市観光協会)
https://www.tambacity-kankou.jp/momiji/momiji.html
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年9⽉26⽇放送回音声