庄野:今はコンピューターで全部音は作れて、いい音にもなるんですが、やっぱり人間が目と目を合わせて「さぁ、いくよ、せーの」で始める。途中で「アイツいいことやるな」とか思いながら演奏して作っていくところが原点で、空気感が違うんですよね。弦楽器や管楽器もコンピューターでよい音が出るんですが、息を吸う感じとか、弦や弓に力が入るところは人間じゃないと出せない音になっています。だから、そういう音で仕上がったものを聴くと、自分の感情を乗せられるスペースが音の中にあるから、一人ひとりの心模様が一つの音楽の中に反映されると思います。
ばんば:僕がアルバム「66」を聴いて思ったのは、音が疲れないことかな。コンピューターだけで作った音っていうのは、飽きてくるから。真代ちゃん自身も作詞作曲して、半分くらい作ってるよね。この時期に出したのが関係あるかどうか分からへんけど、非常にポジティブに感じたよ。
庄野:ありがとうございます。
ばんば:真代ちゃんはデビューが1976年で、「飛んでイスタンブール」が売れるまでの2年間、一緒に番組をしてたけど、いきなり売れて僕を踏みつけて飛んで行ったもんね!
庄野:また、そんなことを(笑)。
ばんば:「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」で一つの時代を築いたのに、そのあと歌手活動を休業して、多方面での活躍がすごいよね。28か国132の都市を歩いて、法政大学人間環境学部に入学。イギリスへも留学して、今は「NPO法人国境なき楽団」の代表をされてるんですね。
庄野:日本で不要になった楽器を集めて途上国の子どもたちにずっと送ってて。音楽の授業もない所で、楽器も見たことがない子どもたちがみんなで練習するんです。音楽ってすごい力があって、それまでは生活も貧しく、親にも見放されて「自分の存在なんてないんだ」って思っていた子が、音を鳴らすことで、「自分はここにいるんだ」ってアイデンティティーを持って、とても楽しそうにしているんですよ。それが私たちにとって励みになって、「あ、そうだ、この子たちのように毎日一生懸命生きなきゃいけないのか」とか逆に教えられましたね。
ばんば:こども食堂も?
庄野:海外での活動が多かったから、自分の住んでいる所でできることをしようと思って始めたんです。このコロナ禍で「今後どうしよう?」って考えられた方も多いと思うんですよ。「自分にできることは、これだったんだ!」ってことをどんどん見つけていって、いま時間があるときに取り掛かるのはとてもいいと思います。
ばんば:ほんとだよね。何もせんと時間を過ごしてたらすごい損で、もったいないよね。プラスに変えないとダメだって思うね。そういう意味では真代ちゃんはすごいと思うわ!
庄野真代 公式サイト
https://shonomayo.com/