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◆裏山の中腹にある磐座(いわくら)を見ながら、田辺先生の歴史トーク
石像寺の裏山に登ってきましたが、見上げるとすごい大きな岩、巨岩があります。福知山線の電車からも見えます。
こういう古代の信仰対象の巨岩を、「いわくら」と言って、「磐座」あるいは「岩座」と書きます。神社で本殿が作られる時代以前に、古代の日本人が神様が降りてくる場所だとしていました。空中で放電現象が起こったら、通電率が高いので雷が落ちます。たまたまそれを見た人が「神さんが降りてきた!」ということに。全国のこういった場所は磐座または磐境(いわさか)と呼ばれていますが、奈良の大神(おおみわ)神社がある三輪山には、たくさん磐座が作ってあります。
「いわくら」は、「岩倉」「岩蔵」とも書き、実際に岩倉という土地がありますよね。銅鐸がたくさん出てきた島根県の岩倉など、古代からのパワースポットと呼ばれるところもそうです。
この地も磐座があるということで、地名は「岩倉」です。蔵前の「蔵」を書くとすると、「岩蔵」が仏教的には音読され「せきぞう」でしょう? これが仏像の「像」に変わったら……。今、ここのお寺は「石像寺(せきぞうじ)」です。
石像寺は、飛鳥時代に法道仙人が開いたとの言い伝えがあります。法道仙人というのは九州から近畿地方まで、たくさんの古いお寺を開いたという伝説の人物ですが、その法道仙人が開いたお寺、山の中の修行場みたいな場所はたくさんあります。摩耶山、九州大分の耶馬渓にある羅漢寺、神戸では石峯寺(しゃくぶじ)などがそうです。仏教伝来以前に日本人が信仰の対象にして行をしていたところが、仏教が入ってきた後に、お寺という格好にまとめ上げられて行ったときに、法道仙人がはじめに開いたと言われているお寺が多いです。ここのお寺もその1つとされ、この磐座と麓に“いわくらじ”、石像寺があります。
石像寺は、天正年間の戦乱に巻き込まれて、全焼したと言われています。その時代は、戦国末期。明らかに明智光秀の丹波攻めと関係があったのでしょう。江戸時代が始まって50年くらいたった頃に再建され、また何回か焼けたり再建されたりして、今に続いてきているお寺なんです。(田辺先生)
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年12⽉3⽇放送回音声