明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。12月10日の放送回では丹波篠山市福住にある住吉神社・住之江の庭と本休寺庭園について、元立命館大学教授の中西健治さんにお話をお聞きしました。番組パーソナリティーは、「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と、久保直子です。
白河天皇の頃に大阪の住吉大社から分霊したと伝えられているのが、この丹波篠山市福住にある住吉神社。地元で古くから“住吉さん”と崇められています。その社務所の北側にある「住之江の庭」と、南側の前庭が、作庭家の重森三玲が作庭したものです。
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◆北面にある「住之江の庭」
【中西さん】1966(昭和41)年、地元の造り酒屋の野々口さんが中心になって、重森三玲さんに「ここに庭を作ってほしい」と依頼しました。重森さんはちょうど70歳という(作庭家として)脂の乗り切った頃で、後日、ご自身として一番納得のいく庭だったと言ったそうです。聞くところによると、重森さんはこの空間にきちんと正装をして正座し、インスピレーションが湧くのを待っておられたとのこと。そしてデザインされたのがこの庭です。
この庭は、大波小波がこちらへだんだんと波頭を立てているという、抽象的なデザインがなされています。青石が“島”。蓬莱の島があり、小さな舟の様な格好をしている舟石があります。作庭するときに舟石を中心に20の石を配置したということです。苔も“島”。何回か外国の方を案内しましたが、この苔の島がとっても珍しいと感動されていました。
また、借景も非常にいきています。正面に見えているのは本明谷(ほんみょうだに)という集落です。“本”に“明るい”と書いて“本明谷”ですので、「お寺がたくさんあって夜中でも本が読めるので本明谷だ」とか、「ほんまに妙な谷だ」とか言われたりもしますが、本当の由来はわかりません。ただ、四季折々、幾何学的な模様になってきれいです。
◆本休寺
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年12⽉10⽇放送回音声