源義経の軍勢も通った!播磨街道、物資の流れの要「古市」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

源義経の軍勢も通った!播磨街道、物資の流れの要「古市」

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 古市の近所には、胡桃畷(くるみなわて)。今は胡桃と書きますが、平家一行が義経の源氏の軍勢が来るかどうか“来るものを見る”から転じて、胡桃の字があてられたと言われています。

 さらに西の方に行きますと「四斗谷」(しとだに)という所がありますが、ここに「偽首(うそかくび)」という地名があり、平家の一行が義経を惑わせるために偽の人形を張り付けたとか……。

 こういった丹波篠山で語り継がれた伝説が点々とつながる「義経伝説の道」があります。

 現在のように情報化、高学歴化の時代なら「平家物語」を読み、話を作ることもできたかもしれません。しかし、昔の人はそんなことはないので、伝説というのは、あながち捏造とばかりは言えないと思いますね。

 この四斗谷の少し川下、丹波国が終わってこの西の峠を越えたら、播磨へ抜けるんです。この峠を三草山、三草峠と言っているんです。

「平家物語」の中で平家が三草峠で待っていたとあります。これを義経が夜討ちを仕掛けて勝利を収めて播磨へ抜けて行ったという「平家物語」の記録をつなぎ合わせてみると、現在の372号という国道が非常に大事な道であるといえます。

 このルート沿いに今も宿場の街並みが残っている福住があり、そして西に進むと、まさに八上城の北の麓をこれが通り、八上のお城自体が、この東西交通路の但馬へ行く道と播磨へ行く道の分岐点を目の下ににらみつけていたという場所でもあります。

「平家物語」によると、義経の一行は、かなり長距離なのに京都から一日で(丹波篠山の)今田町まで来たということになっています。やはりこれは難しいですね。

「二日路をひとひにうって」、“二日で行くべき距離を一日で駆け抜けて播磨と丹波の境なる三草の山のひんがしの山口に、小野原にこそ着きにけり”という内容です。

 今も三草峠の東側に小野原という所があるんですよ。そして峠を越えた播磨側の山の登り口に山口という土地があって、平家物語で「おのばらより三里隔てて三草の山の西の山口に陣をとる」というのが平資盛(たいらのすけもり)が指揮する平家軍なんです。


『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2021年1⽉7⽇放送回音声

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