私は最初、森会長が会長を辞めたいがゆえにあえて失言したのでは?と思っていました。元首相とはいえ、2019年に日本列島を大いに沸かせたラグビーワールドカップの日本招致の立役者とはいえ、コロナ禍での東京オリ・パラの開催をどうする?といった重要な局面は相当な重圧、こんな発言したら絶対問題になるということを、あれだけ堂々と言ってしまえば(会長の)職を辞することができると。ところが辞任はしないという発言に、心底驚きました。「本心から言ってたんだ……」と。
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首相時代を含む国会議員時代、森会長は「日本は天皇を中心とする神の国(2000年5月)」「無党派(選挙で投票先を決めていない人)は寝ていてくれればいい(2000年6月)」「子どもを一人もつくらない女性を税金で面倒をみるのはおかしい(2003年6月)」など失言を連発して大きな批判を浴びていたが、河口さんは今回は質的にも違うと指摘する。
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戦後の日本、高度経済成長著しい時代であっても確かに女性に対する扱いはこんな感じでした。私が大学受験の頃(1980年代)でさえ「女が4年制大学へ行ってどうする?」などと言われていましたから。森会長は、きっとその感覚のまま、今の時代に一つの組織でトップを務めていること自体がおかしいのです。
長年スポーツ界に貢献してきたために「余人をもって代え難い」とされる森会長に忖度(そんたく)しなければ生きていけない周囲の人たち。哀れです。会議の長さを引き合いに出された日本ラグビー協会の女性理事へのコメント(「女性は競争意識が強く、誰か一人が手をあげて言われると、自分も言わないといけないと思う」という趣旨)も失礼ですが、「7人ぐらいかな。みんなわきまえておられる」と言われた組織委の女性たちに対しても失礼です。今でも男性主導社会の「密ある社会」が政治の世界で続いているということなんでしょう(※2020年12月29日「ラジトピ」2020年『密』に思う《2》~Withコロナ時代に『密』なし=男女平等にクリアな社会になるのか?も参照ください)。
IOC(国際オリンピック委員会)にとって東京オリ・パラは、史上最も男女平等に配慮した大会だったはず。逆に森会長、よくぞ本心を言ってくれたとも言えます。このような差別意識が日本ではまだ、あからさまに残っているということを世界中に発したことで、これから日本も変わるかも、と皮肉にも少し期待しています。
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森会長は発言の翌日(2月4日)、「五輪の精神に反する不適切な発言だった。深く反省をして、発言を撤回したい」と釈明した。辞任は否定した。これを受けIOCは、「問題が終わったと考えている」との声明を出した。コロナ禍での開催の可否が問われる大変デリケートな時期、森会長は「老害が粗大ごみに。(私が)邪魔なら掃いてもらえば」とも。反省はどこにあるのか。予定通りの開催ならば、東京オリンピック・パラリンピックまで160日あまり。この痛手、あまりにも大きい。