私たちの周りをじっくりと見渡せば、パワハラ・セクハラを物ともせず、とんでもない言動を繰り返すトップに対し、誰も何も言えないという組織や企業はけっして少なくない。もはや『ハダカの王様』を取り巻くイエスマンたちの集団と言っても過言ではない。私たちは、森会長の問題発言を通して、私たち自身の立ち位置をあらためて見直す機会が与えられているのだ。決して他人事ではなく、私たち自身もまた批判にさらされていることを忘れてはならない。
また、森会長の発言の中には「誰も何も言えない組織・社会」を作り上げる強い方向性が見え隠れする。ウラを返せば、権力者が相対的弱者に対して「立場をわきまえろ!」「おまえらは黙ってろ!」と言っていることに他ならないからだ。「長いものには巻かれろ」とばかりに黙り込んでしまう日本人の習性はけっして美徳などではない。
ただ、今回のことを「老害」などと指摘する向きには反論しておきたい。森会長自身も4日の釈明・謝罪会見で「老害」とか「粗大ごみ」という言葉を発したが、けっして年齢が問題なのではない。口を開けば開くほど馬脚をあらわす森会長の最大の問題点は、自身の失言から何ひとつ学ぶことなく、何ら反省もしてこなかったため、今後もまた同じことを繰り返すであろうという点にある。たとえば刑事事件では「心からの悔悟と真摯な反省」こそが「再犯の防止」に直結するところであり、反省が見られない被告人には再犯のおそれが高いと評価されても仕方がないのである。そのような森会長個人の問題点を「老害」などと呼んで一般化させることは、世の高齢者の方々を十把一絡げ(じっぱひとからげ)にしてしまうことに等しい。
今回、森会長の発言を「世界に対して恥ずかしい」と感じた国民は正常である。しかし「これくらいのことに目くじらを……」などと感じる人は、すでに『ハダカの王様』を取り巻くイエスマンに成り下がっていることを自覚すべきだ。
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森会長の発言をなぜ止められなかったのか。あの場に同席していたJOCの山下泰裕会長は9日、東京都内での定例会見で、「女性差別と受け取られる発言の後もいろんな話題に変わり、止める機を逸してしまった」と説明した。
問題を受け、大会ボランティアの辞退者が、少なくとも400人(2月9日現在)にのぼるが、自民党・二階俊博幹事長が「落ち着けば考えも変わる。辞めるなら新たに募集せざるを得ない」などと発言、不適切とも受け取られかねず、新たな火種となった。
一つの発言の波紋が、さらなる波紋を呼ぶ。この「負のスパイラル」、与えた影響はあまりにも大きい。