原発事故によって多くの人々がそれまでの暮らしを失い、心身ともに深傷つきました。避難を強いられ私たちは「被害者」と呼ばれ、東京電力は法廷ではいちおう、自らを「加害者」と名乗ります。それでも刑事裁判の被告は旧経営陣の3人です。その3人は公判で傍聴席の私たちに背を向けたまま裁判官に謝罪し頭を下げました。私はこの「形だけの謝罪」を何より腹立たしく思っています。そして自らに事故の責任はないと言い切ったことに震えるほどの怒りを覚えます。裁判官が3人に無罪を言い渡した瞬間にこぼれた悔し涙を忘れることはこの先もありません。
ただ公判を傍聴して企業の決定は一人や二人の個人の考えで決まるようなものではないと感じたのも事実です。ならば企業の決定の責任は企業自体にあるべきです。そのことが司法の場でもきちんと示されるよう「私どもが加害者でございます」という東京電力の言葉が真に被害者の心に届くよう「組織罰」が必要だと強く思います。
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JR福知山線脱線事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長に対する刑事裁判では、被告の1人が「道義的責任はあるが、刑事責任はない」と述べたことから遺族らは憤った。現行の日本の法体系では重大事故に対する企業の刑事責任を問う法律がない。日本で「安全・安心」を確固たるものとする法改正への道のりは長い。