鯉のぼりの歴史を紐解く 様式の変化に時代の価値観 リモート・ミュージアム・トーク | ラジトピ ラジオ関西トピックス

鯉のぼりの歴史を紐解く 様式の変化に時代の価値観 リモート・ミュージアム・トーク

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 江戸時代、江戸の町では「竜門伝説」が親しまれていました。すなわち、幾重にも連なる瀧を越えて急流をさかのぼり、「竜門」をくぐって大空に躍り出た鯉は、たちまち竜(=中国では皇帝の象徴)に転身を果たすという物語です。庶民文化の爛熟期、文化文政(1804~30)ごろの江戸町人たちは、その物語に着想を得て大空に真鯉の吹き流しを掲げました。竜を想わせる巨大な真鯉が五月の空を遊泳する壮大な風景は、歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』にも登場します。

 明治時代に入ると、鯉のぼりは地方都市へも普及し、真鯉の下に緋鯉も泳ぎ始めますが、モースがスケッチしているように、まだまだ鯉のぼりは真鯉一旒(りゅう)が一般的で、今日のような籠玉も矢車もなく、とてもシンプルな姿でした。勤勉と忍耐を徳目として、立身出世を目指す明治の時代精神に、高みを目指す真鯉の姿はぴったり適うものだったのでしょう。

■昭和から平成時代の鯉のぼり――仲の良い家族の象徴

♪屋根より高いこいのぼり、大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子どもたち……。楽しげに泳ぐ真鯉と緋鯉に親子の姿を重ね見るようになるのは、昭和6(1931)年に発表された童謡「コヒノボリ」(近藤宮子作詞)の影響が大きいのではないでしょうか。

 そしてこの頃から鯉のぼりの様式は画一化され、当初の和紙製から布製となって全国津々浦々へ広がっていったと考えられます。鯉のぼりは、戦後さらに家族を増やし、高度経済成長を終える頃にはマイホーム時代を映して母親や姉妹の鯉も加わってくるのです。

香寺町内の個人宅の鯉のぼり
香寺町内の個人宅の鯉のぼり

 近年、家庭での役割を終えた鯉のぼりを集めて広い河川や高原などの上に掲げる催事が全国的に流行しています。色も形も様々、出自来歴の異なる幾百もの鯉のぼりが一列横並びに――上下ではなく、横一列に――薫風を受けてひるがえる風景には、数の多さを多くの人たちとともに楽しもうという観光的な意図をこえて、皆、平等に隊列を組んでともに歩んでいきましょうというような、現在社会の価値観が表現されているのかもしれません。

神崎憩いの村「グリーンエコー笠形」に野外展示された鯉のぼり(2017年4月筆者撮影)
神崎憩いの村「グリーンエコー笠形」に野外展示された鯉のぼり(2017年4月筆者撮影)

■日本玩具博物館
〒679-2143 兵庫県姫路市香寺町中仁671-3
電話 079-232-4388
FAX 079-232-7174

入館料 大人600円、高大生400円、小人(4歳以上)200円
休館日 毎週水曜日(祝日は開館)、年末年始(12月28日~1月3日)
開館時間 10:00~17:00
アクセス JR「姫路」駅から播但線に乗り継ぎ「香呂」駅下車、東へ徒歩約15分 / 中国自動車道路「福崎」インターチェンジから南へ15分、播但連絡道路「船津」ランプより西へ5分

※コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が兵庫県に発出されたことを受けて、同館は5月11日まで臨時休館する。今後の開館情報はホームページで確認を。


【公式HP】
【初夏の特別展「端午の節句~武者人形と甲冑飾り~」(公式HPより】

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