被害者になってはいけない、でも、いつ・どこで・誰が被害者になるかわからない。だから加害者になることはやめようと訴えたい。それは自分で決めることができるし、そうすることで1人でも被害者が減るのです。
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「こどもの日」。敏さんは多忙な仕事で家庭を顧みず、妻・正子さんに子育てを任せっきりだった。ある日、たまたま幼い将太さんを連れて買い物へ出かけたとき、これまでにない笑顔で大変喜んだという。
こどもの日については出生数や児童の数、子どもたちが将来希望する職業などがクローズアップされがちだが、敏さんはもう会うことができない将太さんの無念を胸に「父親と息子、我が子はいつまで経っても我が子」2人3脚で生きている。加害者にならないでほしい、地域の安全を守ることは、地域のこどもたちを守ることにつながる。敏さんはそう願ってやまない。
「加害者を生み出さない教育」児童8人が殺害され、児童13人と教員2人が負傷した大阪教育大学附属・池田小学校(2001年6月8日発生)でも、事件を教訓に「当時『学校は安全なところである』という根拠のない思い込みによって緊急事態の想定ができていなかった。子どもたちを守る教育と、加害者を生まない教育。これをあきらめてはならない」との思いから独自の「安全科」の授業で問い続けている。池田小事件は今年で発生から20年となる。