事件から24年経っても、 これから何年経とうとも淳への思いは変わらない・・・・。
1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件で、土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺害され、5月24日で24年となるのに合わせ、淳君の父親・守さんが加害者の男性への思いを語った。
守さんは2018年に解散した全国犯罪被害者の会(あすの会)で、犯罪被害者や遺族の権利の確⽴を訴え56万⼈分の署名を集めて犯罪被害者に関する基本法の成⽴にも貢献した。その後、被害者・遺族が刑事裁判に参加し、被告⼈に直接問いかける「被害者参加制度」の実現や殺⼈事件などの時効の撤廃にも⼒を注いだ。
2020年3月、長年放射線科の医師として勤務していた兵庫県加古川市の病院を退職、4月から個人病院に勤務している。それまでは多忙な日々を過ごしてきたが、やはり臨床医として医療の世界に携わりたいとの思いがあり、守さんは「これからは、ゆったりと働いていきたい」と話した。
■加害男性へ「なぜ?」問い続ける感情
現時点では、今年も加害男性(当時14・現在38)からの手紙は届いていないという。
守さんは以前からずっと、「なぜ加害男性に私たちの次男・淳の命が奪われなければいけなかったのか」という問題について真の解答を求め続けている。一貫して「加害男性には、私たちの問いに対して答える義務がある。そのためには、加害男性が自らが犯した残忍な犯罪に向き合い、真実を導き出す必要がある」との姿勢は変えない。
加害男性は2004年に医療少年院を仮退院した。しかし2015年に遺族に知らせることなく突然、「元少年A」として手記「絶歌」を出版、物議をかもした。 実は加害少年は近況を知らせる手紙を守さんのもとに届けていたのだが、手記の出版に強く憤り、抗議した守さんは2016・2017年は手紙の受け取りを拒否した。そして2018年から手紙は途絶えたのだ。