『負けないで』や『揺れる想い』などのヒット曲で知られる音楽ユニット「ZARD」。2021年にデビュー30周年を迎え、9月15日には、過去にリリースされた全389曲が音楽サブスクリプションサービスにて解禁されたほか、オリジナルアルバムのリマスター盤10タイトル・リアレンジ盤1タイトルも発売された。ラジオ関西では、2007年に40歳の若さでこの世を去った坂井泉水さんをよく知る人物として、ZARDの現場ディレクターを務めた寺尾広氏(GIZA studio)にオンラインでインタビュー取材を敢行。坂井さんにまつわる貴重なエピソードを聞くことができた。
――寺尾さんとZARDとの関わり、つながりは。
初めて会ったのは、坂井さんがまだZARDでデビューする前、1990年の秋でした。それからレコーディングに携わるようになり、ずっと近くにいました。坂井さんが亡くなった後も、長戸大幸プロデューサーのもとで、いろいろ皆さんに(ZARDのことを)伝えています。
――坂井さんはメディアへの露出が少なかったこともあり、素顔はあまり知られていません。
肩パットが入っていたり、厚い化粧をしたりといった女性がいた時代なんですが、(坂井さんは)ノーメイクに見えるような感じで、部屋着のような服を着て、髪の毛も後ろで結んでいましたよね。基本的には「愛をうたいたい」ということで恋愛をテーマに歌っていた彼女でしたが、意外と「男性的」だったかもしれません。論理的にしっかりした感じというか。SFや宇宙の仕組みに興味がありましたし、国会答弁が好きで、よく見ていました(笑)。テレビではおとなしい感じに映ってしまいますが、実際は快活で、大きな声で話す人でしたよ。
――それは知りませんでした。一方で、「あがり症だった」というエピソードもありますが。
うーん、内弁慶なのかもしれませんね。スタジオで、僕やエンジニアなどといった、気心が知れた数人で話すときは、ワーッといろいろ話をしてくれるのですが……例えば、誰かがコーヒーを持って来たら、急におとなしくなります。小声で「あっ、おはようございま~す」とか「おつかれさまで~す」と言って、じーっとしているんです(笑)。その人が出ていくと、またワーッと喋り出すみたいな、そういう感じでしたね。
――坂井さんはZARDのほぼ全ての楽曲の作詞をしていますし、多くのアーティストに詞を提供しています。
長戸(大幸)さんの最初の指導が良かったのでしょうね。例えば、相手の男性が「俺は夢を持って、アメリカに行きたいんだ!君とは別れよう」と言ったとします。そうなったときに、「そんな男はこっちから願い下げだ!」となるのではなく、「あなたについていきます!」となるのでもなく、「ここにとどまってあなたを応援しましょう」と、自分から身を引くような世界観で書きましょう、というのが最初からあったんです。それに基づきながら普段思ったことをずっと書き続けていて、曲が来たときに「あ、この曲にはこの言葉が合うな」と、ジグソーパズルみたいにはめていくんです。「ZARDという物語の主人公=坂井泉水」に何を歌わせようか、という感じだったと思います。