加藤登紀子が歌う名CMソング「酒は大関」、今秋から娘のYaeにバトンタッチ | ラジトピ ラジオ関西トピックス

加藤登紀子が歌う名CMソング「酒は大関」、今秋から娘のYaeにバトンタッチ

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 歌手の加藤登紀子とYaeの親娘が、パーソナリティーを務めるラジオ番組で、1970年から加藤登紀子が歌う名CMソングの話や、同曲が今秋から娘のYaeに引き継がれたエピソードなどを明かした。

『加藤登紀子の地球に乾杯』(ラジオ関西、月曜午後7時~)10月4日放送回では、老舗の酒造会社、大関株式会社の長部訓子代表取締役社長がゲスト出演した。

写真左から、大関株式会社の長部訓子代表取締役社長、加藤登紀子、Yae(※撮影時にマスクを外して対応)

 その大関といえば、有名なCMソングが「酒は大関」。51年前の1970(昭和45)年に故・小林亜星氏が作詞作曲を手掛け、加藤登紀子が歌唱し、同社のシンボルの1つとして、ファンに親しまれている。このたび、現在の長部社長の提案で、半世紀歌い継がれた名曲を「年月というものが新しい未来につながる」をテーマに、加藤登紀子の次女・Yaeにバトンタッチ。昭和の時代に歌われた名曲が、令和にキーも楽器もアレンジも変えて、装いも新たになった。

「21世紀にYae氏が歌い継いでくださるのがうれしい」と、しみじみと思いを語った長部社長。「Yaeさんはきれいに澄んだお酒。登紀子さんはしっかり深みと厚みのある純米酒、(同じ酒でも)味わい方が全然違う」と、それぞれの歌唱を酒に例えながら、感想を述べていた。

「(「酒は大関」)は1番から5番まであり、1番はCMでよく流れていたが、当時CMソングがシングルレコード化されることが少なく、レコード屋さんで売られていなかったため、当初は楽曲自体が5番まであることがなかなか知られていなかった」と述べた加藤登紀子。自身は5番の歌詞が特に好きだといい、スタジオでは長部社長とともにアカペラで歌う姿も。「もともとジャズをメインとする(小林)亜星さんが演歌を書いたということで(みんなが)驚いた」と当時の思いを明かしつつ、「今回も、ミュージシャンがとても楽しんでレコーディング演奏をしていた」と、娘に継いだ「酒は大関」も満足の出来だったようだ。

 YouTube大関公式チャンネルでは、「酒は大関」スペシャルムービーを配信。加藤登紀子が弾き語りで歌ったもの、1970年当時のもの、そして今回Yaeが歌ったものが、豊かな田園風景などとともにおさめられている。

◆「歳月を重ねて、未来を醸す。」という言葉への思い

 今回、Yaeが歌うリメイク版「酒は大関」では、新CM「歳月(とき)を重ねて、未来を醸す。」編が制作されている。


◆新商品で“ほろ酔いトーク”

『加藤登紀子の地球に乾杯』の生放送の序盤には、大関の創醸当時の屋号「大坂屋(オオザカヤ)」の名前を冠した同社の新商品「創家 大坂屋 純米大吟醸酒」を加藤登紀子、Yae、長部社長の3人が味わいながら、“ほろ酔いトーク”が展開された。



生放送の様子(※試飲時にマスクを外して対応)


 少量しか造られない小仕込み(こじこみ)で生産された「大坂屋」。長部社長も含めて、手作業で蒸米や水を運び、毎日もろみの様子を見守り造られた貴重なお酒だ。「創家 大坂屋 純米大吟醸酒」をスタジオで試飲した加藤登紀子いわく「おいしい! 甘くて切れ味があり飲みやすく、しっかりしている」。新たに立ち上げられた「大坂屋」ブランドは、1711(正徳元)年、江戸に元禄文化が花開いていた6代将軍徳川家宣の時代、長部家の先祖である大関株式会社初代大坂屋長兵衛が、摂津国・今津村(現在西宮市今津)で酒造りを始めたことに由来するという。

 なお、今回の締めくくりでは、加藤登紀子作詞・作曲で、1987年にリリースされた「時には昔の話を」(1992年・宮崎駿監督アニメ映画『紅の豚』エンディングテーマソング)を長部社長がリクエスト。楽曲を聴きながら、加藤登紀子、Yae、長部社長は、思いを重ねていた。

(取材・文:黒川良彦)

・大関株式会社 公式HP
・加藤登紀子 公式HP

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