今年6月、神戸市で「神戸らしいファッション文化を振興する条例」が制定されました。市と事業者と市民が一体となって神戸のファッション文化を盛り上げ、次世代に引き継いでいこうとするものです。詳しいお話を、神戸市経済観光局ファッション産業課課長の久保阿左子さんに聞きました。聞き手は、女子大学生で落語家のぷりん亭芽りんさんです。
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――「神戸のファッション産業」について伺います。「ファッション」と聞くと、洋服のイメージがありますが?
【久保阿左子さん(以下、久保さん)】 神戸市では、「衣・食・住・遊」に関わる生活文化産業全般を「ファッション産業」と位置付け、神戸のあらゆる産業をまとめて「ファッション産業」と呼んでいます。
――神戸でさまざまな産業が発達したのには、理由があるのですよね?
【久保さん】 1868年(慶応3年)の神戸開港を機に、外国人居留地が開設され、洋風文化が日本に登場します。それに刺激を受け、神戸洋服、神戸靴、神戸洋家具、洋菓子、パン、コーヒーなどの産業が生まれました。また、(港町のため)輸出入に便利なことから、真珠加工、ケミカルシューズなどの産業も成長。そして、開港以来のライフスタイルが育んだ神戸ならではのファッションセンスを背景に、やがてアパレル産業が誕生。全国市場へと展開していきました。さらに、開港よりもずっと前から、山と海の恵まれた自然を生かして発展した産業として「灘の酒」があり、灘五郷は日本一の清酒の産地となっています。
――落語でも、灘のお酒はかなり格の高い憧れのお酒として登場します。では、「衣・食・住・遊」の「衣」のお話から詳しくお願いします。
【久保さん】 開港後、居留地に住む外国人の需要に応じて洋服仕立業が興ります。日本人の洋服着用増加もあって多くの仕立職人が神戸に集まるようになり、創意工夫を競いながら技術を高めていきました。神戸の注文紳士服「神戸洋服」は、オーダーメイドレベルの高い技術が現在に受け継がれています。また戦後はアパレル企業が神戸で多く設立。神戸市が昭和48年(1973年)にファッション都市宣言を行って以来、官民一体となってファッション都市作りを進めた結果、アパレル企業は急成長しました。大手から個性的な中小企業まで層の厚さが特徴となっています。神戸靴は、草履や鼻緒職人が転業し始まりました。現在に至るまで、ハンドメイドの高級革靴(主に紳士靴)を生産。「神戸の履きだおれ」として全国に名をはせています。また、大正中期からゴム産業が盛んになり、第2次世界大戦後にはケミカルシューズが誕生。現在も長田区で多くの婦人靴が作られています。
――「食」は?