人がゆったり浸かる釜ができるのは、鉄の道具が発達する鎌倉時代以降。それ以前は、フィンランドのサウナのように室に焼いた石を入れて水をかけて蒸気で温まり、体温を上げて血液の循環を良くしていました。広島の山の寺に、鎌倉時代の蒸し風呂の室(むろ)の跡が残っています。
鉄の釜がまだない時代にも日本には温泉がありましたので、農民は秋の農作業を終えたあと、近くの温泉に滞在して身体を温めていたことでしょう。
ずっと調査しているのですが、単体で「ゆ」という単語を持つ国は、日本以外に私はまだ見つけていません。「湯」が生活に密着しているのは、日本文化のユニークなところで、それは恐らく温泉のおかげだと考えられます。
中国から漢字が日本に入ってきた時に「湯」を当てましたが、中国の「湯」の字は温かいスープのこと。間違ったのか、温泉も味がするからなのか、分からないんです。有馬の守り神「湯泉神社(とうせんじんじゃ)」は、平安時代には「ゆのじんじゃ」とかなで書かれていました。
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紅葉が見ごろの有馬を訪れるときには、このような歴史や文化を思い浮かべると、さらに楽しめますね。
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・解説=「兵庫・神戸のヒストリアン」 田辺眞人(園田学園女子大学名誉教授)
※ラジオ関西『田辺眞人のまっこと!ラジオ』2021年11月19日放送回、「田辺眞人のラジオレクチャー」より