この経緯について、海上保安庁・海洋情報部 海洋情報企画官 石原健一郎さんは「天文観測は明治初期の日本では、最先端の科学技術。学術研究のみならず、水路測量や遠洋航海においても国の事業として必要不可欠だった。とりわけGPSなどの衛星航法や電波航法が存在しなかった時代は、陸上なら目印となる地面や物体が全くといっていいほど見えない外洋では、船舶の位置を求めるには天測による天文航法以外に方法がなかった。
この天文航法、精密な時計(クロノメーター)、六分儀、そして航海暦の3つが必要不可欠で、球儀や天測計算器で、容易に測定位置を求めることができた。
その後、人工衛星や原子時計の登場によって高い精度の衛星測位が主流となり、時代が大きく変化してゆく。海上保安庁としての天文観測業務は2008(平成20)年に終了、その後は人工衛星や原子時計が担うようになった。そこからは加速度的に衛星航法が普及し、伝統ある「天測暦」などの航海暦を船舶に備え付ける義務が2002(平成14)年に廃止され、一定期間が経過したことなどから、航海暦の刊行に係る業務体制を見直すことになった」と話す。