ライト兄弟は有人飛行に成功しましたが、当時のアメリカの学者からは、空気よりも比重の重い機械が飛ぶことはありえないと、批判されました。しかし、イギリスの博物館からの依頼でライトフライヤー号がロンドンの科学博物館で展示され、一般の人たちがライト兄弟の偉業をたたえ始めると、アメリカでも評価が変わり、アメリカを代表するスミソニアン博物館がライトフライヤー号を取り戻して展示することになりました。今はワシントンの国立博物館に展示されているそうです。
ところが、発明したオーヴィル・ライトは、第二次世界大戦で、自分の作った飛行機がまちを破壊することに繋がったと、深く悩みます。ダイナマイトを開発したノーベルもそうでした。技術の発展には、いい面と悪い面があります。
ただ、「世界初」がライト兄弟ではないとする説もあります。一説では、1902年3月あるいは1903年3月に、ニュージーランド南島のティマルという町のはずれのワイトヒで、リチャード・ピアースが飛行機で飛んだといい、ちゃんと設計図も残っています。ニュージーランドのオークランドの科学博物館の天井に、その模型が展示されているので、もしニュージーランドに旅行をされたら、リチャード・ピアースの世界最初の飛行機も見に行ってください。
19世紀に産業革命が起こり、技術がどんどん進歩し、様々な人が飛行機について同じような研究をし、20世紀初めに次々と成功したことは、自然の流れでした。ぜひライト兄弟のこともリチャード・ピアースのことも知っていただけたらと思います。
・解説=「兵庫・神戸のヒストリアン」 田辺眞人(園田学園女子大学名誉教授)
※ラジオ関西『田辺眞人のまっこと!ラジオ』2021年12月17日放送回、「田辺眞人のラジオレクチャー」より