なぜキリストの誕生日は「12月25日」とされる? 「きよしこの夜」を日本語訳したのは兵庫ゆかりの人 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

なぜキリストの誕生日は「12月25日」とされる? 「きよしこの夜」を日本語訳したのは兵庫ゆかりの人

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 クリスマスというと、トナカイやもみの木、雪景色を思い浮かべる方が多いと思いますが、イエス・キリストが生まれたのは、イスラエルの砂漠のオアシス、ベツレヘムの宿屋の馬小屋だと伝えられています。砂漠気候の地なのに、なぜクリスマスは雪景色で、イエスの誕生日は12月25日とされるのでしょう。歴史を紐解きます。

雪景色の中に描かれたクリスマスの風景

 現在はイスラエルであるユダヤ人の国は、今から3000年ほど前、ダビデ王やソロモン王が亡くなって分裂。紀元前722年に北半分がアッシリアに征服され、紀元前586年には新バビロニアに全て征服されました。

イスラエル

 他国に吸収されても、ユダヤ人は言葉も文化も維持し続け、「亡国の民」と言われました。征服国からすればかわいげがありませんから、いつまでも弾圧されて、最後がナチスによるホロコーストです。

 ユダヤ人が苦難に耐えられたのは「神様は、選ばれた民である我々をテストしていて、これを乗り越えればユダヤ人のための神の国ができる」と信じていたからです。ペルシャのゾロアスター教から救世主の思想も、ユダヤ人は吸収していたと言われています。

 ユダヤの歴史には、“救世主ではなかった”人物が何度も登場します。例えば、セレウコス王朝シリアに反乱を起こしたマッカバイオス家のユダ。この史実を、ヘンデルが音楽劇にした時の勝利の行進曲が、表彰式でよく使われる「優勝賛歌」です。ところが、ユダも結局シリア軍にやられてしまい、救世主ではなかったと考えられました。

 その150年後にイエスが生まれ、当時としては非常識ともいえる考え方を説きました。当時罪人は、ハムラビ法典の「目には目を歯には歯を」にのっとり、被害者に与えたのと同じことを罰として受けましたが、イエスは「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」、「貧しい人、弱い人は幸いだ」と話し、多くの貧しい弱い人たちは救われました。

イエスの誕生

 今でこそ博愛主義は理解されますが、当時このような話ができたのは、天才的。釈迦や孔子などにも同じことが言えますね。イエスの言葉は、神の王国が近付いたグッドニュース、グッドスペルで「ゴスペル」。日本語では、幸福な音「福音(ふくいん)」と訳されました。

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