目印となり、伝説も持つ六甲山のパワースポット「石宝殿」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

目印となり、伝説も持つ六甲山のパワースポット「石宝殿」

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◆「田辺眞人のラジオレクチャー」

 日本には古くから「日本三奇」と呼ばれる不思議なものがあります。1つ目は、宮崎県・高千穂峰の山頂に銅の剣が突き立ててある「天逆鉾(あまのさかほこ)」。2つ目が、宮城県の水が干上がらない大きな釜「塩釜(しおがま)」。そして3つ目が、兵庫県高砂市にある、岩山をくりぬいた大きな岩「石宝殿(いしのほうでん)」です。奈良時代の『播磨国風土記』にも記述がみられます。

日本三奇・石の宝殿

 本来「宝殿」とはお社のこと。石でできたお社「石祠(せきし)」を「石宝殿(石の宝殿)」と言います。高砂市のものほど大きくはありませんが、神戸の六甲山にも約1メートル四方の「石宝殿」が存在します。

 江戸時代の地図を見れば、必ず、六甲山最高峰の近くに「石宝殿」と記載されています。今でもハイキング地図には、六甲山最高峰の東の肩の部分に「石宝殿」とあります。山登りをする人にとっては、東六甲の1つの目印なのです。

地図 石宝殿

 場所は、芦屋川、住吉川、夙川、逆瀬川、仁川、有野川、船坂川、これらの源をたどって行った一番上の分水の尾根の上。芦屋から有馬に通じる芦有道路の「宝殿ゲート」で降り、六甲山へ登る道を進むと鳥居があります。その奥が、一種独特な不思議なムードになっていて、ここに石宝殿があります。

 この石宝殿は、慶長18(1613)年に西宮の人が建てたと刻まれています。県内には大小さまざまな石の祠(ほこら)がありますが、年号を刻んだものとしては、六甲山の石宝殿は2番目の古さとなっています。

 徳川家康が征夷大将軍になって10年目、大坂冬の陣(1614年)や大坂夏の陣(1615年)の直前、西宮の人たちが山の上に据え付けました。高速道路も何もありませんから、大変だったでしょうね。

 今のような道路標識がない時代ですから、山の中に点々とあるお社は目印になりました。江戸時代の村々の山争いの古文書にも、石宝殿はよく出てきます。「このお社からどこ山の何の木まで」と山の境目を決める目印として。

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