洋楽カバーとともにある日本のポップス史。数ある中には原曲のコンセプトを完全無視したり曲解して「どうしてこうなった?」とおかしな風味が出てしまったりしたものもあるわけで……。昭和の洋楽珍カバーについて音楽評論家の中将タカノリとシンガーソングライター、TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 日本のポップス史は洋楽カバーとともにあると言っても過言じゃありません。戦前に大ヒットしたディック・ミネさんの「ダイナ」(1934)にはじまり戦前・戦後のジャズ、ロカビリーは多くは洋楽カバーでしたし、今や歌謡曲と認知されてる西城秀樹さんの「YOUNG MAN」(1979)、荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」(1985)も洋楽カバーです。カバーすることで海外の最新の音楽性をいかに日本に取り入れるか模索してきたわけですね。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 なるほど! 日本語でカバーされてるものが多いので聴くだけだとなかなか洋楽だとわからないものが多いですね。
【中将】 日本語でカバーするっているのがミソですよね。これまで挙げたように原曲とすごくマッチしているものもあれば「なんだこりゃ!?」ってものまであるのが昭和の洋楽カバーの魅力なんです。
たとえば羽賀研二さんの「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」(1984)。
リマールが歌った原曲は美しく幻想的な雰囲気ですが羽賀研二バージョンはなんと出だしから「よせよ 強がりは俺の前で」。不良がファルコンじゃなくて「黒いマシン」に乗って街を駆けるというアホみたいなストーリーに仕上がっています。映画の公式タイアップソングだったようですが、クレームとかこなかったか心配になります。
【橋本】 その後の羽賀さんのスキャンダルや逮捕を考えると、先を見据えて作った名作詞なのかもしれませんね(笑)。
【中将】 出所して芸能活動再開されたそうなのでぜひ頑張っていただきたいですね(笑)。
さて、洋楽カバーは海外で話題の曲やヒットした曲が多いですが、やはりビートルズの曲はめちゃくちゃ多くのアーティストにカバーされています。個人的にすごいなと思うのがザ・カーナビーツがカバーした「オブラディ・オブラダ」(1969)。