「前後際断」 いったい何を断ち切るのか… ラピス和尚の辻説法 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「前後際断」 いったい何を断ち切るのか… ラピス和尚の辻説法

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 神戸大倉山・楠寺瑠璃光苑の住職「ラピス和尚」さんが、ラジオ番組を通じて、楽しい仏教うんちくを届けています。日頃なにげなく使っている言葉が、思いもよらない“ふか~い”意味を持っていることも。

 今回の辻説法は、禅のことば「前後際断」について。ラピス和尚に聞いてみました。

◆本日の辻説法
「前後際断」

 なんだか激しい言葉のように感じる「前後際断」。いったい何を断ち切るのでしょうか……。

 仏教の教えで中心となっているのが「今・ここ・わたし」。前後とは時間の経過を指し、生きている限り1秒1秒時間が過ぎ去り、今は過去へとなっていきます。それを考えると、生きていくにつれ過去が増え、「昔、人にこんなことを言われた」、「あのとき、こうしていればよかった」などの悲しい思い出は、もう過去の彼方に飛び去ってゆくのです。それが「後」を断つ考え方です。

 それでは「前」とは? 生きている限り、1秒1秒時間がやってきて、新しい展開が繰り広げられます。それを考えると、何が起こるかわからない未来に対して、「もし人にこんなことを言われたらどうしよう」、「もし失敗したらどうしよう」などの悲しい未来予知は、もう無意味なことなのです。人生何が起こるかわかりません。「前」も断つ考え方です。

 そういったどうしようもないことを考えることを「取り越し苦労」といいます。そして、いらない苦労シリーズには「持ち越し苦労」という言葉も。過去の失敗を持ち出して、「きっとまた失敗するに違いない」と将来を悲観する苦労です。そして、もうひとつ、「持ち出し苦労」とは、「あの人が上手くいかないのだからきっと失敗するに違いない」と、人のことまで持ち出して余計なお世話な妄想をする苦労のこと。人は知らず知らずのうちに、あらゆる苦労をしているのですね……。

「前後際断」とは、「今というこの一瞬を己の力を出し切って生きよう!」ということなのです。この力は明日に取っておこうかな……と思っても、明日はあるかどうかわからないのですから。

(話=ラピス和尚)

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ラピスモーニング | ラジオ関西 | 2022/02/13/日 08:00-08:20

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