マグロの「トロ」はその昔、捨てられていた? 「下魚」と呼ばれた時代から、寿司の定番ネタに至るまで | ラジトピ ラジオ関西トピックス

マグロの「トロ」はその昔、捨てられていた? 「下魚」と呼ばれた時代から、寿司の定番ネタに至るまで

LINEで送る

この記事の写真を見る(2枚)

 刺身やお寿司の定番ネタとして人気が高いマグロ。お寿司屋さんに行くと必ず注文するという人も多いのではないでしょうか。実は、日本でのマグロの歴史は古く、縄文時代から食べられていたと言われています。その証拠として、縄文時代の貝塚からマグロの骨が発見されているのです。そんな日本人にとってなじみの深いマグロについて、神戸中央卸売市場でマグロを中心とした鮮魚を取り扱う、中村水産株式会社(神戸市兵庫区)の代表取締役社長・中村哲英さんに話を聞きました。

トロは昔捨てられていた!?

 中村水産の創業は大正15年(1926年)。現在は、マグロをはじめとした鮮魚や貝類などを扱う水産物総合会社として様々な海産物の仲卸をおこなっていますが、昭和25年(1950年)に神戸中央卸売市場で開業した当初はマグロ専門店として、マグロ一筋で仲卸をしていました。

 そんなマグロを知り尽くした中村さんに、まずはマグロの歴史について尋ねてみました。

 先述したとおり、マグロは大昔から食べられていたということですが、昔から人気の食材だったのでしょうか。中村さんは、「昔は今のような人気はなかったそうです。江戸前寿司が誕生した頃から徐々に食べられるようになってきたみたいです」といいます。

 今は価値の高いマグロですが、なんと江戸時代には「下魚」と呼ばれ、価値の低い魚だったそうです。理由は、マグロは劣化が早く、すぐに鮮度が落ちてしまうため、水揚げされたマグロが江戸の魚河岸に運ばれる間に傷んでしまうから。マグロが日常的に食べられるようになったのは江戸時代後期。この頃、漁の技術も徐々に進化し、マグロ漁がさかんに行われるようになってきたそうです。

日本人にとってなじみの深いマグロ

 さらにこの頃、しょうゆの醸造が本格化され、マグロの切り身をしょうゆに漬けた、いわゆる「ヅケ」が考案されました。「ヅケ」は傷みを防ぐ役割も果たします。のちに江戸前寿司のネタとして握りで食べられるようになったことで一気に人気が高まったそうです。こうして不遇の時代を経て脚光を浴びるようになったマグロ。マグロといえば、赤身・中トロ・大トロなど様々な部位がありますが、口の中でとろける食感がたまらない「トロ」は、特に人気の部位で、高級な食材として知られています。しかし、実はトロが高級食材として重宝され、人気が出たのは戦後以降のことなんだそう。

「脂の多い部位であるトロは、漬けにすることもできず、劣化が特に早いため、加熱して食べる以外は捨てていたそうです。もったいないように感じますが、当時の日本人は脂分の多いものを食べる文化がなかったので、口に合わないという人も多かったのだと思います」(中村さん)

 その後、一般的にトロが食べられるようになったのは1960年代以降。冷凍技術が開発されたことによりトロが生食用として徐々に食べられるようになったそうです。中村さんも子どもの頃は食べた記憶がなく、大人になってから食べるようになったといいます。トロが食べられるようになったのはわりと最近のことで、その影には冷凍技術の発展があってこそなのですね。現在では-60℃で急速に冷凍され、おいしさをキープしたまま消費者に届けることができるようになりました。


・インターネットショップ「みんなのまぐろやさん」

LINEで送る

関連記事