神戸の洋菓子は世界の歴史と直結 ユーハイム、モロゾフ、コスモポリタン…… | ラジトピ ラジオ関西トピックス

神戸の洋菓子は世界の歴史と直結 ユーハイム、モロゾフ、コスモポリタン……

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「兵庫・神戸のヒストリアン」田辺眞人のラジオレクチャー。今回は、神戸の洋菓子と世界の歴史との関わりについて紐解きます。

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  神戸は、全国に誇る洋菓子のまちです。神戸港が開講したのは明治元年(1868年)ですが、明治時代に日本人は、まだ洋菓子に飛びつかなかったようです。ユーハイム、モロゾフ、ゴンチャロフ、コスモポリタン、フロインドリーブ、ベルなど洋菓子店が次々と神戸にオープンするのは、それから半世紀後の大正時代です。

「ユーハイム」の創業者、カール・ユーハイムは、ドイツで生まれて菓子職人になった後、ドイツの租借地だった中国の青島で、1909年に喫茶店を開業します。1914年に第一次世界大戦が勃発。カール・ユーハイムは民間人だったにも関わらず、捕虜として日本の大阪の収容所に連行。風邪が流行したため、広島の療養施設に移されました。

 大戦後、1919年3月4日、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)で、ドイツの作品の即売会が開かれ、この時にカール・ユーハイムが日本国内で初めてバウムクーヘンを焼きました。3月4日が「バウムクーヘンの日」なのは、この出来事にちなんでいます。

 カール・ユーハイムは戦後もドイツには帰らず、家族を日本に呼び寄せて、銀座や横浜でレストランを営みますが、1923年の関東大震災で店が焼けてしまいました。そこで、知人を頼ってやってきた神戸で喫茶店を開き、焼いたバウムクーヘンが大変な評判になっていきました。

「モロゾフ」の設立に関わった、ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ(フィヨドル・ドミトリー・モロゾフ)の父は、ロシアの裕福な商人でした。1917年のロシア革命後に誕生した社会主義国家は、平等の実現を目指して富裕層の財産を没収していきました。モロゾフ親子は、国家の迫害から逃れるためハルビンに渡り、アメリカ・シアトル、そして神戸にやってきて、西洋の食品を販売し始めました。

 その後、日本人とともに洋菓子店「モロゾフ」を共同経営し始めたのですが対立。やがて息子のフィヨドルは、第二次世界大戦が終わった1945年、洋菓子店「コスモポリタン」を創業します。このとき洋菓子づくりのために借りたのは、ユーハイムの工場でした。

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