【橋本】 どのように日本に入ってきたんですか?
【中将】 日本にある朝鮮学校を経由して入ってきたそうです。日本語詞を書いた作詞家の松山猛さんは、友だちだった朝鮮学校の生徒にこの曲を教えられたと言っていますね。
【橋本】 50年以上前にそういう音楽の交流があったと思うと深いですね……。
【中将】 この曲は多くの人にとって音楽面で朝鮮半島を意識したきっかけになったと思います。少し後になると韓国のポップスも本格的に日本に入ってきます。たとえば浜村美智子さんがカバーした「黄色いシャツ」(1971)。
オリジナルは1961年のハン・ミョンスク。他にも李成愛やキム・ヨンジャが歌っていますが、ロカビリーやアメリカンポップスの影響を感じますね。
【橋本】 ポップだけどアジア独特の風味もありますね。
【中将】 「黄色いシャツ」はポップスだけど、演歌っぽい楽曲もかなりヒットしています。たとえば渥美二郎さんがカバーした「釜山港へ帰れ」(1983)。
オリジナルは1972年のチョー・ヨンピルですが、イントロの重苦しいサウンドが独特ですよね。
【橋本】 演歌って日本独自のものかと思っていたんですが違うんですね!
【中将】 はい、韓国にもトロットと呼ばれる演歌、歌謡曲の文化があります。日本の演歌の元祖は明治時代の川上音二郎あたりだと言われてますが、音楽的には民謡や小唄などの伝統的メロディーがルーツになっています。韓国の民謡と日本の民謡ってけっこう似ている部分があるので、それぞれ独自に発展して演歌になったけど、今なお共通点が多いんですよ。もちろん“似ている”のには音楽的交流も影響していると思います。