トラウマを背負っていたオードリー・ヘプバーン 名声に隠された本当の姿を描くドキュメンタリー | ラジトピ ラジオ関西トピックス

トラウマを背負っていたオードリー・ヘプバーン 名声に隠された本当の姿を描くドキュメンタリー

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 大きなアーモンド形の瞳、漆黒の髪。妖精のような愛らしい顔立ちとスタイルの美しさでハリウッド映画を飾ったオードリー。彼女の波乱万丈の人生を丁寧に追ったドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』が5月6日(金)、全国で公開されます。

 オードリー・ヘプバーンは1929年、ベルギーで生まれました。ナチス占領下のオランダで過酷な環境のもとで育ちました。地下室で25日間もパンひと切れとジュースだけで生き延びた経験をしています。9歳の頃からバレエのレッスンを受けていて、夢はバレエダンサーになることでした。

 この映画はオードリーの人生を丁寧に追っています。身長170センチとバレリーナとしては背が高いオードリーは、バレリーナとしての限界を感じて20歳になる頃、バレエの道から演劇の道へと歩み始めます。ショーや写真のモデルを務め、俳優学校に入学しました。お金がなくて様々なバイトをしていました。

 こうした中、イギリスで映画『初恋』に主人公の妹役として出演し、そのあとブロードウェイミュージカル『ジジ』の主役に抜擢されます。「バレエの舞台には立てなくても、生かせる仕事につくことはできるかもしれない」と小さな希望を抱きました。

 1953年公開のアメリカ映画『ローマの休日』でアン王女を演じてアカデミー賞・主演女優賞に輝きました。ハリウッド映画のデビュー作で主演女優賞を獲得したのは彼女が初めてでした。今作の中でオードリー本人は「あまりにも早くオスカーをもらったので、その意味が分からなかった」と語っています。

==●メイン(傘を持ったショット) =
©️PictureLux / The Hollywood Archive / Alamy Stock Photo

 その後は、『麗しのサブリナ』(1954年)、『パリの恋人』(1957年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)などの作品に出演し、映画界の大スターとして活躍します。

 オードリーのおともとしてアカデミー賞授賞式に2度出席したという、プロデューサーで家族ぐるみの友人だったアンドリュー・ウォルドは「どんなに早く家を出ても遅刻しそうになった」と語っています。クルマの渋滞がひどくて会場に着く直前の2ブロックを歩くのですが、沿道のファンがオードリーを見つけて大騒ぎになったといいます。でも「初めて会ったとき世界的なスターに見えなかった。素敵な女性だと思った」とも話しています。

 オードリーの孫にあたるエマ・ファーラーは「彼女は心配性だった」と証言しています。「その心配の裏返しとして完璧な姿を作り上げようとしたの」と明かします。

 オードリー本人は、この映画の中で「作品や成功で私が得る愛情は途切れることがなかった。とても幸せだったわ」と前置きしたうえで、「成功というものは他人の目に映るものよ。私が毎朝、鏡の中に見るのは成功者じゃない。ただの私」と話しています。自分が注目され次々と出演依頼が舞い込む中、悩みを抱えていたようです。自らのルックスを、もっと背が低くて足が小さくて鼻が小さければ良かった、髪もブロンドがいいし何もかも変えたい、と感じていました。また彼女は「美は見た人が感じるものよ。自分では見ることができない」と強調して、「毎朝、目覚めるたびに、きれいに見えるよう全力を尽くした」と当時を振り返りました。









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