赤シャツに黄色のズボン、両腕を振って今にもこちらに向かって飛び出してきそうな男の子。通学路や交差点で、そんな「飛び出し坊や」の看板に遭遇したことはありませんか?
子どもたちが道路に飛び出して事故に遭わないことを目的とした立て看板の「飛び出し坊や」。そんな飛び出し坊や誕生の地・滋賀県では、特に設置数が多くバリエーションも豊富だとか。飛び出し坊やが地元でどれほど活躍しているのか、生まれ故郷である東近江市の「一般社団法人東近江市観光協会」の主幹・大國勉さんに聞きました。
飛び出し坊やは、1973年(昭和48年)に当時の八日市市(現・東近江市)で誕生しました。交通事故が全国的に多発していた時期ということもあり、市の社会福祉協議会が「子どもたちを守りたい」という願いを込めて、地元の看板屋「久田工芸」に発注したことが始まりです。日本各地には同じような事故防止の看板が数多く存在しますが、久田工芸製の看板は、ファンの間では「0系」と呼ばれ全国的にも特に高い知名度を誇ります。
滋賀県は「飛び出し坊やの設置数が日本一」などという噂もありますが、さて真偽のほどは……?
「個人や店舗が作成したものもあるので、正確な数は把握しきれていませんが……一例を挙げますと、交差点の左右で顔を出している飛び出し坊やが合計10体以上というエリアもあります」(大國さん)
本来の目的である交通安全用の飛び出し坊やにくわえ、お店の前に立っているものや個人が制作したものもあるため、気付けば、ある日街角に「新顔」の飛び出し坊やが立っていた、ということもよくあるそう。滋賀県には変わり種の飛び出し坊やも数多く、過去には、さまざまな飛び出し坊やを集めた「飛び出し坊や展」なる展覧会も開催されたほど。近江八幡市の有名企業・近江兄弟社とのコラボや、滋賀県在住のファンが作成して東近江市に寄贈した、アイドル「ももクロ」型の飛び出し坊やも存在する。
東近江市を超えて日本全国に進出している飛び出し坊や。今ではいちキャラクターとして、また、観光スポットやフォトスポットとしても活躍していますが、やはり「本業」は交通安全の啓発です。