延暦寺の総本堂、国宝・根本中堂は2016(平成28)年度から約10年の歳月をかけての大改修工事が行われている。国家鎮護を願い、祈りを捧げる場で、毎年4月には天台密教最高の秘法とされる重要な法要「御修法(みしほ)」が執り行われる。
大樹座主は根本中堂について「特に心静かに、落ち着くことが出来る場所」と述べた。そして「(元来、お堂の役割は)仏さまと向き合って瞑想し、仏像に惹きつけられる精神状態になれる最高の場所。いわば人間の心を浄化するところ」と説いた。
大樹座主は故郷・兵庫県姫路市で小学校教諭を17年間務めた。その経験から「子どもたちは純真で、正直で、友のように話しかけてくれた」と振り返った。忘れられないのは理科の授業で鮒(フナ)の解剖実験をした時のこと。授業を終え、子どもたちは「フナのお墓を作ろう」と言ってきた。校庭の花壇の隅に穴を掘り、フナを埋めた時、大樹座主は子どもたちに「このフナは君たちが勉強するために、自らの命を捨てて犠牲になってくれた。生半可な気持ちで接してはいかんぞ」と諭すと、子どもたちは毎日、お墓に手を合わせていたという。「授業の中で”命の大切さ”を強く刻み付ける教育を続ける」という重要性を感じたと話した。
大樹座主は太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどっていた1944(昭和19)年、滋賀海軍航空隊(滋賀県大津市唐崎)に入隊した。円教寺長吏(住職)時代の2020年8月、太平洋戦争終戦75年を迎えてラジオ関西の取材に、「航空隊は延暦寺がある比叡山の麓にあり、この時から私は比叡山との縁があったのかも知れない」と話していた。
この日の会見でも「(航空隊在籍時に)何となく比叡山に守られているような気がして、つらい訓練も苦痛と思わなかった。この時から伝教大師・最澄に導かれていたのかも知れない。これが“仏縁”というものか」と振り返った。
◆大樹孝啓(おおき・こうけい) 1924年(大正13年)6月23日、兵庫県飾磨郡曽左村書写(現在の兵庫県姫路市)に生まれる。1943年(昭和18年)出家得度。海軍少尉任官、終戦を迎える。1948年(昭和23年)~1965年(昭和40年)姫路市小学校教諭。1984年(昭和59年)円教寺住職・第百四十世長吏に就任。1996年(平成8年)大僧正補任。2010年(平成22年)天台座主の次位に当たる次席探題に。2022年11月22日、森川宏映・前天台座主の死去に伴い、同日第258世天台座主に就任した。