女子サッカー・WEリーグのINAC神戸レオネッサからドイツ・女子ブンデスリーガ1部の1.FFCトゥルビネ・ポツダムに完全移籍することが決まった元日本女子代表(なでしこジャパン)FW京川舞選手が、24日、オンラインで記者会見を行い、初の海外挑戦への意気込みを語った。
茨城県出身の京川選手は、類まれな得点力で育成年代から台頭。常盤木学園高校(宮城)を経て2013年、仲田歩夢選手(現、大宮アルディージャVENTUS)らとともにINAC神戸に加わると、途中、大きなけがなどに見舞われながらも、10年にわたってチームの主軸FWとして活躍してきた。「ワールドカップで優勝、オリンピックで準優勝した選手(が数多くいる)のなか、1年目からプレーするところで、メンタル面で折れないようぶつかっていく、なじんでいく、自分を出していくという最初のスタートがありました。その後、(ひざの)前十字(靭帯)をけがして、そこから復帰してというような、けがの繰り返しがあったりしましたが、そこを乗り越えてきたというのは、すごく力になっています」と、レオネッサでの経験は大きなものになったようだ。
そのなかで、このたびドイツへの移籍を決断した京川選手。「INAC神戸に入団する年の1月、まだINAC神戸に入る前に、(INAC神戸の遠征で)バルセロナに行く機会があって、現地で試合を観て、サッカーもして、(バルセロナの)女子チームと戦ってという経験から、海外への意識が強まっていったのかなと思います。(憧れがあった?)そうですね、自分としてはそこでガツンときたのはすごいありました」と、当初から海外でのプレーに関心があったそう。
「5年前くらいからずっと海外にいきたいという思いがありました」と会見で明かした京川選手。しかし、昨年、甲状腺の病気である「パセドウ病」と診断され、長らくサッカーから離れて治療をする状況に。「闘病生活をしている昨年の1年間は、(海外へ出るのは)難しいかなとか、これ(病は)治るかなとか、そういったことを考えながらだったので、覚悟が決め切れなかったところもありました」と当時を回顧する。
しかも、年齢は28歳と、サッカー選手としてはベテランの域に入ってくるところ。実際、「年齢のことも気にしていた」と本音を吐露するも、「絶対早くよくなって海外挑戦するんだというモチベーションはありました。その部分で、年齢のせいにせずに、いつでもいけるというところを示していきたいと考えていました」というストライカーは、病気を克服し、WEリーグの舞台にも立ち、INAC神戸の初代女王の場にも戦力として立ち会った。そして、目標としていたヨーロッパでプレーする道を切り開く。
「復帰した後に、(自分と)同じ境遇になってしまった人たちに新たな道をつくるというか、光を照らすというか、そういう意味では、私がこのチャンスで(海外へ)出るのはすごく意味があるのかなと思いました。あとはおばあちゃんになったときに自慢するなら、いま出ることのほうが自慢になるかなと思いました(笑)。今までの経験のなかで、けがや病気と向き合った10年間がある分、海外でも『なんでもこい!』という感覚です」
また、女子サッカー強豪国のアメリカではなく、ドイツを選んだことについては、UEFA女子チャンピオンズリーグの盛り上がりなど、近年、劇的に変化するヨーロッパ女子サッカーの環境を要因に挙げる。
「ドイツがFIFAランキングでは毎年3位以内に入っているので、そこに飛び込んでいくことで全部に知れ渡るというところと、自分自身はヨーロッパ圏内(のクラブ)でチャンピオンズリーグに出たい、(女子のFCバルセロナとレアル・マドリードが戦ったときのように)あの9万人のスタジアムのなかでプレーしたいという思いがありました」
「自分はDAZNを通じて生で試合を観ていましたが、(観衆が埋まって)スタジアムの色が変わる雰囲気とか、あのピッチでしか味わえないような感覚を、ぜひ味わいたいと思っていました。なでしこ(ジャパン)が(女子W杯ドイツ大会で)優勝したときの感覚も、それに近いような雰囲気だったと思うので、そこへの憧れももちろんありました」
ドイツのサッカーには、日本にはない展開力があるという京川選手は、「そこを体感したい」という思いも強いそう。病は克服したとはいえ、投薬治療などは継続しているなか、「自分の身体のコントロールという意味では、(試合数も)コンスタントに日本と同じ状況でやれたほうがいいという現実もみて」、環境の整うドイツでのプレーを選んだ。さらにチームの雰囲気のよさも魅力的だったそう。「YouTubeで観たときのチームの雰囲気が、すごく輪があるというのと、あと(ドイツで)3位なのに代表選手がいなくて。そこも非常に魅力がある、興味があるチームでした」。