昭和カルチャーを愛する女子大生・阪田マリンです! 皆さんは、最近、ボウリングをされていますか? 私は、今までに1度しかしたことがありません。周りの昭和ネイティブな大人の方にそんな話をしたところ、とても驚かれたことがあります。
昭和世代の方々にとって、ボウリングってそんなに身近なものなのでしょうか? 日本ボウリング場協会専務理事の岡田大明さんにお話を聞きました。
ボウリングブームの最盛期は1970年頃。1972年には、全国に3,697施設のボウリング場があったそうです。ファミリーのお出かけスポットとしても、デートスポットとしても大人気で、週末には順番待ちのために行列ができることもあったほど。
当時は、テレビでも毎日のようにボウリング番組や試合が放送されていたそう。すべての投球でストライクを決める「パーフェクト」を2回も達成したスター選手、“さわやか律子さん”こと中山律子さんも登場。ボウリングがテーマになったスポ根ドラマ『美しきチャレンジャー』(TBS系列)もヒットするなど、ボウリングはまさに国民的スポーツでした。
岡田さんによると、その頃のボウリングは若者の“必修科目”。「ボウリングが上手な人はかっこいい」という風潮もあり、マイボールやマイシューズを所有することは一つのステータスだったそうです。また、座ってゆったりおしゃべりしながら楽しめるため、ボウリング場は当時の若者の社交場のようになっていたといいます。
しかし、2020年には、ボウリング場は全国で695施設にまで激減しています。ここ数年は新しいボウリング場ができることはほとんどなく、2018年に群馬県に「ドリームスタジアム太田」ができて以降、単体のボウリング場はオープンしていないのだとか。
じつは、ボウリング場はオープンさせるのにも店仕舞いするのにも、莫大なお金がかるのだそうです。