【中将】 この曲ははじめ、広島のフォークサークル「広島フォーク村」のオムニバスアルバムの一曲として発表されるんですが、全国のフォーク関係者に衝撃を与えたそうです。当時、福岡でアマチュア活動していた武田鉄矢さんも「これはかなわない」と、がくぜんとしたと言っています。メッセージ性という点では「人間なんて」(1971)も強烈ですね。
【橋本】 これは知っていました! 初めどこで聴いたのかは忘れましたが「『人間なんてラララ』ってどういうこと!?」ってすごくインパクトがありました。
【中将】 学生運動などがひと段落した時代の若者ならではの挫折感や虚無感を感じる曲ですね。ギターとハーモニカの一発録りみたいなスタイルも熱いです。
ファンの人たちにも人気のある曲で、1975年に静岡県で開催されたフェス「コンサート イン つま恋 1975」で、朝方のフィナーレに拓郎さんと5万人超の観客が一緒にこの曲を歌うシーンは伝説になっています。
【橋本】 夜通しでフェスやってたんですね! 時代のパワーを感じますね。
【中将】 メッセージ性強めの曲からご紹介しましたが、拓郎さんが一般のリスナーに認知されたのはこの曲だと言われています。1972年リリースの「結婚しようよ」。
【橋本】 「僕の髪が肩までのびて」……何度聴いても印象的な歌詞ですよね。この頃の拓郎さんは実際にロン毛だったんですか?
【中将】 肩まで届くくらいのストレートのロン毛でした。1970年代になって男性の長髪が流行するんですが、そういう自由な世相を反映した歌詞ですね。この年6月に一人目の奥さん、四角佳子(よすみけいこ)さんとご結婚されてi
るので、実際にそういうタイミングだったのかもしれませんが(笑)。ともあれ、この曲は大ヒットになり、オリコン・ウイークリーランキング3位、1972年度年間ランキング14位を記録しています。
【橋本】 これまでの曲に比べて、うんとポップになっていますね。アレンジもカントリーみたいでほっこりします。
【中将】 拓郎さんは学生時代にバンドをやっているし、R&Bやロック、ポップスの知識にも長けた人でした。それまでのフォークは弾き語りに毛の生えたくらいのものが多かったんですが、拓郎さんは本格的にサウンドにこだわり、フォークのポップス化を押し進めます。
その後、数々のヒットを飛ばし音楽シーンの第一人者になった拓郎さんは、1975年に同じフォークシーン出身の井上陽水さん、泉谷しげるさん、小室等さんらと「フォーライフ・レコード」を設立します。これは現役ミュージシャンがミュージシャンのためにレコード会社を設立するという画期的な出来事でした。
【橋本】 起業されるんですね! すごい!