【橋本】 ジャニーズの人たちって当時からがっつり踊ってるから、他の歌手にくらべてハンデがありますよね。最近みたいに口パクもしにくかったと思いますし。田原さんが努力して上手くなっていったというストーリーは素敵です。
【中将】 浅田さんやジャニーズのみなさんの登場を経て、1980年代半ばには「アイドルは歌がヘタでもいい」という認識が浸透したように思います。そこで彗星のように登場したのが、おニャン子クラブ。秋元康さんが手がけた現代のグループアイドル文化の源流の1つになったグループですが、彼女たちは女子高生や女子大生がアルバイト的に芸能活動するというスタンスをとっていました。当然、プロ意識はさほど高くないし、歌がヘタな人もたくさん在籍していました。新田恵利さんのソロシングル「冬のオペラグラス」(1986)とか、絶妙なヘタさ加減ですね。
【橋本】 絶妙!(笑) でも、これぞ秋元ワールドですよね。
【中将】 当時の新田さんは素朴な雰囲気の妹キャラだったんですが、舌足らずでかけっこしながら歌ってるような不安定な歌声がイメージとマッチしていますよね。
【橋本】 秋元さんが理想とするアイドル像って等身大の女の子なんでしょうね。つんくさんや他のプロデューサーとは根本的にベクトルが違うと思います。
【中将】 次にご紹介する曲は「ショーケン」こと萩原健一さんの「愚か者よ」(1987)。萩原さんはそもそも音程やリズムを正確に歌おうなんて思ってないですね。でも圧倒的なオーラがある。
【橋本】 衝撃的ですね……! 当時の映像も見させていただきましたが表現力の天才だと思います。この曲は近藤真彦さんのバージョンで知っていましたが、全然違っていました。
【中将】 中途半端にズレてるだけだとカッコ悪いんだけど、確信犯でここまでやられたらもう何も言えないですね。アイドルとは違う意味で、音程、リズムの正確さだけが歌の良さではないという好例です。
では最後にご紹介するのは菊池桃子さんのバンド「ラ・ムー」の「愛は心の仕事です」(1988)。実力派のミュージシャンを集めていて楽曲も凝っているんですが、残念なことに菊池さんの歌がつたなすぎて相乗効果ゼロという……。
【橋本】 これはなかなか……(笑)。サウンドだけだとカッコいいんですけどね……。
【中将】 もっと声量あるタイプのボーカルが歌ったほうがうまくまとまったでしょうね。結局ラ・ムーは人気がジリ貧になって、結成から2年ももたずに解散してしまいました。菊池さん、声自体は素敵なので、個人的にはソロの曲や、後に鈴木雅之さんと歌った「渋谷で5時」(1993)みたいな路線のほうが好きです。音楽って、本当に難しいものだなと思いますね。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2022年7月24日放送回より)