次は演歌の京都ソングです。藤圭子さんの「京都から博多まで」(1972)。さっきとは逆で、京都から博多に行ってしまった男を追いかける女性の歌です。なんで博多に行ったのかわからないけど、この男は明太子でも買いに行ったんですかね?
【橋本】 (笑)。これは私の思い描く京都っぽさに近いですね。情念! 京都にはこういう暗い演歌がすごく似合うと思います。
【中将】 ちなみに藤さんは2年後、後日談を歌ったアンサーソング「私は京都へ帰ります」をリリースしています。結局、なすすべもなく京都に帰ってくるだけの歌なんですが……。
【橋本】 私も待つのは2年が限界ですね(笑)。
【中将】 (笑)。
これまでご紹介した4曲ですが、基本的に暗い以外にも、もう1つ、大きな共通点があります。作詞家や歌ってる人が京都人じゃないんですよ。東京の人とか、全然関係ない地方の人が作った曲ばかりなんです。せいぜい渚さんのお父さんが京都出身らしいということぐらい(笑)。
【橋本】 全部よその人がイメージで作った曲だったんですね!
【中将】 あと、京都には沢田研二さんやザ・フォーク・クルセダーズ、やしきたかじんさんなど大御所の出身歌手がたくさんいるんですが、なぜかみなさん京都ソングは全然作っていません。だから今、世間で認知されてる京都ソングのほとんどはよその人がイメージで作った京都ソングだったわけです。
【橋本】 たかじんさんに至っては大阪の曲ばかりですからね(笑)。
【中将】 そんなわけで、京都人が作った京都ソングはないものだろうかと探しに探した結果……ようやく発見しました。尾崎亜美さんの「My Shiny Town」(1981)。シングル「Love Is Easy」のカップリング曲で、KBS京都の創立30周年記念キャンペーンイメージソング。ラジオで長年にわたって使われたので京都の方にはおなじみの曲のようです。
【橋本】 めっちゃポップな曲ですね! 曲調もかわいいし、「この街はスクリーン 優しい風のようにキ・ラ・リ」という歌詞もこれまでの京都ソングとは全然違うフィーリングです。
【中将】 実際に京都で生まれ育った人が作ると、情念とか日本情緒じゃなくてこういう等身大の描写になるんですね。
【橋本】 尾崎さんにとっては普通に生活したふるさとですもんね。もし私が京都ソングを作っても、先入観が勝ってしまってこんなに自然な感じにはできないだろうなと思いました。
【中将】 こういう現象って日本各地のご当地ソングでもあるのかもしれないですね。またいつか研究したい興味深いテーマです。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2022年8月21日放送回より)