自衛隊演習場内で農業を続ける理由 「平和への思いと日頃の暮らしがそのままつながった生き方」を追う | ラジトピ ラジオ関西トピックス

自衛隊演習場内で農業を続ける理由 「平和への思いと日頃の暮らしがそのままつながった生き方」を追う

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 自衛隊の演習場内で農業を続ける家族を追ったドキュメンタリー。映画『日本原 牛と人の大地』が2023年1月7日(土)、神戸の元町映画館で公開されます。

 岡山県北部の奈義町で牧場を営む内藤秀之さんは、ヒデさんと呼ばれ親しまれています。ヒデさんは1947年岡山県生まれです。岡山大学医学部に入りましたが、およそ50年前、自衛隊と闘うために医学生を辞めて奈義町日本原の農家・内藤家に婿入りしました。

 この日本原には、陸上自衛隊「日本原演習場」があります。中国四国地方で一番大きな軍事演習場で、1年間に自衛隊員およそ16万人が訓練しています。演習場は、日露戦争のあと1909年に旧陸軍がつくり、終戦後は自衛隊へ引き継がれました。1969年頃、実弾射撃訓練が危険だとして反対する農家の人たちが現地闘争本部を置き、演習場内で農業をしてきました。ここで農業をすることやこの土地に入ることは国から認められています。ヒデさんは、ゲートにつけた南京錠の鍵を自衛隊から渡されていて、いつでも中へ入ることができます。

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 演習場内にはかつて村が2つあって、農家の人たちは田畑を耕したり、牛に草を食べさせたりしていました。それから100年以上経った現在、ほとんどの農家は国から与えられた代わりの土地に移ったため、演習場内で農業を続けているのは内藤家だけになりました。

 ヒデさんがこの日本原で活動を始めるきっかけとなったのは、50年前に友人が命を落としたからです。ヒデさんは大学時代、加古川市出身で同じ大学の友人・糟谷孝幸さんをべトナム反戦デモに行こうと誘いました。そこで糟谷さんは警察から暴行されて翌日に亡くなりました。

 妻の早苗さんは、「基地反対のために田んぼを作りよると人は誤解する。じゃけど実際は、田んぼは暮らしを立てるためのものじゃから、それを取り上げる言われたら働けんようになるから『田んぼは売れません』というだけのこと」と言います。

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 ヒデさんと早苗さんは、自衛隊と闘いながら「山の牛乳」という低温殺菌牛乳を作っています。この牛乳は、演習場で収穫した牧草を食べて育った牛のお乳です。

 日本国内で市販されている牛乳のほとんどは、超高温瞬間殺菌という方法で作られるそうですが、「山の牛乳」は栄養と風味、善玉菌を損なわないよう低温殺菌を採用し、安く販売しています。上澄みに自然とおいしいクリーム層ができるということで、普通の牛乳と全く違うコクとうま味があるとして地元で愛されています。

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