2001年12月に兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた砂浜陥没事故の発生から21年を迎えた30日、泉房穂明石市長と市幹部9人が事故現場を訪れ、献花した。
事故は東京から帰省していた金月美帆ちゃん(当時4歳)が父親の一彦さんと大蔵海岸を散歩している時に起きた。海岸の人工砂浜が約2メートル陥没し、美帆ちゃんは砂に埋まって生き埋めとなり、搬送された病院で意識が戻ることなく、翌2002年5月に亡くなった。
■「安全対策、どこかに甘さが 万全を期すことができなかった」泉市長
2023年4月の任期いっぱいで退任の意向を示している泉市長は、「当時、この砂浜が危険な状態だったにもかかわらず、一定の安全対策で済むといった油断が、死亡事故を招いた。同じ年(2001年)の7月には、ここからすぐ近くのJR朝霧駅で歩道橋事故もあった。この2つの事故は絶対に忘れてはならない。遺族の悲しみに終わりがないように、明石市の責任にも終わりはない」と話した。
事故から21年経ち、職員の世代交代や入れ替わり、教訓の継承が課題となっている。泉市長は「若手職員に対しては、遺族の話に耳を傾けたり、事故調査報告書の内容を整理したりする必要がある。当時の明石市がまったく対策をしていなかったわけではない。しかし、どこかに“甘さ”があって、安全対策に万全を期すことができなかった」と誓った。
そして「今後、誰が市長になろうと、こうした安全に対する意識を継承させなければならない」と気を引きしめた。