《阪神・淡路大震災28年》「生きる大変さと素晴らしさ伝えたい」 遺族代表のことば・上野政志さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《阪神・淡路大震災28年》「生きる大変さと素晴らしさ伝えたい」 遺族代表のことば・上野政志さん

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 阪神・淡路大震災で当時20歳の長女を亡くした上野政志さん(75=兵庫県佐用町)が17日朝、東遊園地(神戸市中央区)で開かれる追悼行事「1.17のつどい」で、遺族代表としてのことばを述べる。11日に神戸市役所で会見した上野さんは、「娘がこの世で生きていたということや、生きることの大変さと素晴らしさの両面を伝えたい」と話した。

「1.17のつどい」で、遺族代表としてのことばを述べる上野政志さん。「生きることの大変さと素晴らしさの両面を伝えたい」(11日午後=神戸市役所)

 上野さんの長女・志乃さんは当時、神戸大2年だった。1995年1月15日に故郷で成人式に出席したあと、翌日16日に1人暮らしをしていた神戸市灘区琵琶町のアパートへ。駅まで送り届けた際、「じゃあ、またね」と声をかけたのが最後の会話だった。17日早朝の大地震で、志乃さんは友人とがれきの下敷きになった。

 上野さんは志乃さんを「不思議な子だった」と思い返す。「生きていれば48歳か。子どももいて、働き盛りで、(上野さんには)孫がいて……」。思いを巡らせれば巡らせるほど、現実との落差に心打ちひしがれるという。「仕送りが少なく、アルバイトを2つ掛け持ちしていた。もっとあげればよかった」と悔やむ。

上野さんの長女・志乃さん(上野さん提供)
上野さんの長女・志乃さん(上野さん提供)

 震災から28年目の朝を迎える。「“もう”28年、ではなく、“まだ”28年」と上野さんは言う。震災を経験していない世代は増え続けている。上野さんは「戦争のように伝えられるだけ伝えていきたい。みんなの記憶に残していきたい」と力を込める。

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