製造開始から108年 金属洋食器の町・燕市が生んだ『イチゴスプーン』 離乳食・介護食用としても注目 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

製造開始から108年 金属洋食器の町・燕市が生んだ『イチゴスプーン』 離乳食・介護食用としても注目

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――日本人向けのカトラリーとはどのようなものなのでしょうか?

【小林さん】 日本人の手や口は小さいので、なめらかに馴染むように作りました。もともとカトラリーは西洋文化のものなので、サイズが大きかったんです。それでは日本人には馴染まないということで、カトラリーを作るにあたって500人に実際に握ってもらい、不具合や改善点の確認を行いました。

――イチゴスプーンの製造販売によって、どのような反響がありましたか?

【小林さん】 弊社がはじめに開発したイチゴスプーンが家庭向け商品としてヒットし、その後、産地全体の定番アイテムとして多くの会社で製造されるようになりました。弊社ではおそらく、年間15〜30万本ほど製造していたと思います。

その後は、アメリカ文化から輸入した「グレープフルーツスプーン」や「メロンスプーン」も製造販売しました。学校給食などで「先割れスプーン」が出ていたと思いますが、これはメロンスプーンの特徴を利用した商品です。従来品はメロンを切って食べるために鋭利な形をしていたのですが、ほかの用途でも使用するようになったため先端部分に丸みを帯びるようになりました。当時、カトラリーといえば高級なイメージがあったため、ギフトセットとしてもよく販売されていましたね。

昭和45~50年ごろのカタログ『デラックス・イチゴスプーンセット』

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 多くの人々に愛されている「イチゴスプーン」は、根強いファンのおかげもあって現在も年間100〜200本が製造されているそう。最近は離乳食、介護食用としても注目を集めているといいます。イチゴスプーンをはじめとした商品の数々は、現在「LUCKYWOOD」というブランド名で製造されています。

 どんな逆境にあっても努力を惜しまず、日本人に向けたカトラリーを細かく丁寧に作ってきた小林工業。繊細で細かな仕事ができる日本人だからこそ誕生した「イチゴスプーン」。いま一度手に取り、ジャパンスタイルの技術を感じてみてはいかがでしょうか。

(取材・文=弘松メイ)

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