【橋本】 これはブルースなんでしょうか? まるっきり歌謡曲のような雰囲気ですが……。
【中将】 音楽的にはもうブルースとは言えないですよね。あえて言えば演奏がバンド編成なことくらいで。ミネさんはブルースやジャズに通じた方なので、もちろんこれが本来のブルースと違うことは理解していたはずです。この時期には“歌謡曲としてのブルース”というものが形成されていたと考えたほうがいいですね。
【橋本】 ブルースが完全に日本に取り込まれたということですね!
【中将】 歌詞も「四馬路(すまろ)」、「虹口(ほんきゅ)」といった地名が出てくる通り、上海が舞台というのが面白いです。
【橋本】 私が育った上海ですね! なんで上海なんでしょうか?
【中将】 戦争が始まるまでは日本はもちろんアメリカやフランスの租界(外国人居留地)があってアジア随一の国際都市だったから、ブルースやジャズも盛んでした。中国や満州の地名がポップスに出てくるのは戦前からですが、特に上海はお洒落でカッコいいイメージだったんですね。
さて、戦後になって日本の歌謡曲はどんどん洗練されていきますが、その中でこんな和製ブルースの名曲が生まれています。青江三奈さんの「伊勢佐木町ブルース」(1968)。
【橋本】 これはテレビやYouTubeでもよく使われているし、私の世代(29歳)でも知ってる人が多いと思います! イントロの「アーン」やサビの「ドゥビドゥビ」がたまんないですね……。
【中将】 昭和歌謡の名曲といったポジションの曲でブルースからはかなり遠いですが、「ドゥビドゥビ」とかスキャットが入るあたりは黒人音楽を意識してるんですよね。
【橋本】 こういう雰囲気の音楽なら、今後またウケる要素があるかもしれませんね。
【中将】 「伊勢佐木町ブルース」が出た前後の1960年代、1970年代には歌謡曲にジャズやラテン、ボサノバの要素をプラスしたムード歌謡が流行します。そのムード歌謡の中でも「〇〇ブルース」というタイトルの曲が数多く作られました。たとえば内山田洋とクール・ファイブで「中の島ブルース」(1975)。
【橋本】 これもブルースみはないですが、ちょっとお洒落な歌謡曲に仕上がってますね。
【中将】 ブルースを完全に取り込んで発展した歌謡曲に、さらに洋楽要素をプラスして新しい「〇〇ブルース」が出来るっていうのが面白いですね。音楽的に2、3段階くらい大きく変化している点、日本人にとって「ブルース」という言葉が「哀愁+都会的」というイメージというイメージをあらわす言葉になっている点。原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」(1977)や近藤真彦さんの「スニーカーぶる〜す」(1980)もその流れの先にあるのかもしれません。
【橋本】 音楽性は違うけどかすかに共通する部分は感じますよね。「エモい」でも「チルい」でもなく……あえて言うなら「ブルい」ですね(笑)。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2023年2月28日放送回より)