誰もが子どものころに1度は遊んだであろう、懐かしのおもちゃ「ホッピング」。かつては、日本全国のいたるところで子どもたちが遊んでいた時代もあったのだとか。誕生の裏側や流行の変遷について、20年以上もの長きにわたってホッピングの輸入販売を行っている株式会社クリエイティブファクトリーの安藤友規さんに話を聞きました。
―――ホッピングはいつから日本に?
【安藤さん】 日本に伝わったのは1950年代です。当時は戦後間もない状況で、子どもの遊びもほとんどない時代でした。実はこのとき、アメリカにはすでにホッピングのモデルとなったおもちゃ「ポゴ」が存在していました。アメリカ兵がこの「ポゴ」を持ち込んだのが、日本におけるポッピングのはじまりだといわれています。
―――もともと「ホッピング」だったわけではないのですね。
【安藤さん】 そうなんです。その後、ポゴが日本流に改良されて「ホッピング」が誕生することになるのですが、最初にポゴに目をつけたのが東大阪の町工場でした。「より安価に大量生産できるように」とポゴをまねて作られたのが、皆さんも知っている「ホッピング」です。
大量生産が可能になったことで一気に日本中に広まり、当時は日本中の公園や広場で子どもたちが飛び跳ねていたそうです。これが、ホッピングの第一次ブームとされています。
―――第一次ということは、第二次、第三次と続くのでしょうか?
【安藤さん】 そうですね。その後も度々ブームが訪れます。実は、この第一次ブームは意外なきっかけで突如終わりを迎えました。発端は不明なのですが、「ホッピングをやりすぎると脱腸する」という何の根拠もない噂が日本中に広まったことで親が子どもたちから取り上げる事態となり、日本中からホッピングが消えることになります。
その後10年以上は下火となるのですが、80年代に入り、有名おもちゃメーカーとして知られる株式会社バンダイさんが、ウルトラマンなどの当時子どもたちが熱中していたテレビアニメのキャラクターをあしらった「スカイホッピー」という商品を発売しました。男の子用、女の子用と多種多様なキャラクターをあしらったホッピングが続々と発売。カラーテレビが普及したばかりの時代にテレビCMが流れたこともあり、子どもたちの憧れのおもちゃとして瞬く間に大ブレイクしました。これが第二次ブームといわれています。