―――最盛期はどのくらいパンが売れていた?
【坂本さん】 当時は一つ15円で販売していました。一般的に売られていたパンが20円ほど、炭酸飲料は30円ほどだったのでかなり安い値段でした。昭和30年代には、最高で一日1000個ほどは売れていました。
買ってくれるのは主に子どもでした。「はじめてのおつかいはロバのパン屋」と当時はよく言われていましたね。子どもが小銭をもってパンを買いに来る、その後ろの物陰からお母さんが心配そうに見ている、みたいな状況はよく目にしました。本当にテレビ番組みたいな感じでしたよ(笑)。
―――実際にロバを引いて営業していたのはいつ頃まで?
【坂本さん】 減っていったのは、1970年代の終わりごろからです。交通が発展して車社会になり、ロバが車に驚いて逃げたり事故が起こってしまったりするようになったのが原因だったそうです。車が多くなって道路も整備され始めてからは、車や三輪自動車での販売に変わっていきました。
―――今はどのような形で営業している?
【坂本さん】 車で曲を流しながら販売を続けています。営業しているのは京都・岐阜・徳島の3店舗と、昔に比べるとかなり少なくなってしまいました。
コロナで学校が一斉休校になった際には子ども達が音楽を聴いてたくさん来てくれた。大変な時期ではありましたが、とても楽しかったです。ずっと家にいた子ども達にとって、いい息抜きになったのかな。
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最近では、当時の味をもう一度味わってもらう機会を増やそうとネット販売も始めたそう。遠方から感謝の手紙が届くこともしばしばあるといいます。
後継者問題にも悩んでいたところ、数か月前に、ロバのパン屋を教えてほしいという若者が現れるといううれしい出来事があったのだとか。「利益が決して多い訳ではないけれど、長年子どもたちに愛されたこの蒸しパンを、どうにか次の世代に残していきたい」と、坂本さんは話していました。
※ラジオ関西『Clip』2023年5月4日放送回より
(取材・文=濱田象太朗)