元フジテレビアナウンサーで現在はスポーツアンカー、フリーアナウンサーとして活躍する田中大貴が、アナウンサーになってからの葛藤や「マイナースポーツ」という言葉の意義について、ゲスト出演したラジオ番組で語った。
小学生のころに野球を始め、兵庫県立小野高校野球部を経て慶應義塾大学へ進学。当時、田中はプロ野球選手を目指していた。大学ではレギュラーチームの4番バッターを務めるも、元プロ野球選手である松坂大輔氏と同世代であるだけでなく、ほかにも優れた選手が大勢いるなかで自身がプロのレベルに達していないことを痛感。最終的にアナウンサーになることを選んだという。
アナウンサー試験に合格した理由について、当時、体育会系の人間がアナウンサーになることが少なかったことを挙げた田中。さらに、自身がいわゆる“松坂世代”であることから「松坂世代の人間がプロ野球選手にならずにアナウンサーの世界に来る、というところにフジテレビが魅力を感じてくれた。そういう意味では運が良かったですよね」と、自身の考えを話した。
小学生のころには“キャプテン”として選手と監督との橋渡し役を担っていたそうで、この経験はテレビ番組と視聴者の間に立って情報を伝える“アナウンサー”という職業とリンクしていると考えた田中。この考えを評価されたことも試験合格の一因なのでは、と分析した。
自身の経験を踏まえ、これから就職活動を迎える学生に向けてアドバイスを送った。
「たとえば、『アナウンススクールに行ってこれだけの努力をしました』ということだけが就職活動ではない。『自分がなにげなく生きてきた過程と、その先にあった仕事がリンクしている』とプレゼンテーションされると、腑に落ちますよね」(田中)
しかし、狭き門を突破してアナウンサーの夢を叶えたものの、気持ちの切り替えは難しく、さまざまな葛藤があったという。なかでも、同級生たちが活躍していた入社後3年ほどは“プライドの転換”に苦労したそうで、1学年下の元プロ野球選手・鳥谷敬氏や、ヤクルトスワローズ・青木宣親選手に対して「『ヒーローインタビューしたくないな』と思っていたんですよ」と胸の内を吐露した。
複雑な思いを抱えるなか、当時出演していた番組『とくダネ!』(フジテレビ系列)のメインMCで、フリーアナウンサー・小倉智昭のひと言をきっかけに、心境に変化が生まれたという。小倉から投げかけられた「君がやってきたこと(野球経験)というのは、テレビの世界とまったく同じ。これまでにやってきたことを、組織のなかで同じようにやるだけ。絶対に通用するはずやから努力しなさい」という言葉に、野球を通じて経験してきたことと、番組を作ることは同じだと思えるようになったという。
最初こそ嫉妬心を抱いていたものの、時が経つにつれて現役選手との仲は深まっていったそうで、その関係性について田中はこのようにコメントした。
「長く続けることと、長くいい関係性を続けることが大事ですよね。競技は引退したとしても、競技からは卒業していないということはよく分かりますよね」(田中)