昭和後期に一大ブームを起こした「エアロビクス」。子どもから高齢者まで誰もが一生涯楽しめると、今や幅広く親しまれているフィットネススポーツのひとつです。
通称「エアロビ」の発祥や歴史について、公益社団法人日本フィットネス協会理事で、元エアロビクスインストラクターの岩井智子さんに話を聞きました。
岩井さんによると、エアロビクスの始まりは1967(昭和42)年。アメリカの運動生理学者ケネス・H・クーパーが、アメリカ空軍でのプログラムに適した運動理論として、その原型を発表したことだと言われているそうです。この理論をもとに、ジャッキー・ソレンセンという女性が現在のような形に改良し、エアロビクスが完成。1980年代には、アメリカ出身の女優ジェーン・フォンダが自宅で取り組むことができるエアロビクスのフィットネスビデオを発売し、ブームに火が付きました。
その後、日本では1983(昭和58)年に東京・原宿のフィットネスジム「スタジオNAFA」がいち早くエアロビクスを取り入れ、“エアロビの聖地”と呼ばれるようになりました。ファッション・ダンス・ダイエットなど、当時の女性にとって気になる要素を詰め込んだエアロビクスは、これをきっかけに多くの人々を魅了し、全国で熱狂的なブームを巻き起こしたそうです。
また、1980年代初頭は“ディスコブーム”全盛期でもありました。岩井さんによると、当時の若者の間には「音楽にノって踊りたい! 体を動かしてハイになりたい!」という熱気があったといいます。
「エアロビは音楽に合わせて大人数で身体を動かすという、ディスコさながらの要素を持ち合わせていたため、時代の空気感とも相性が良かったのではないでしょうか」(岩井さん)
その時代、エアロビクスに参加する若い女性たちの定番ファッションは、蛍光カラーのハイレグウエア・レッグウォーマー・リーボックの「フリースタイル」というスニーカーの“3点セット”。エアロビクスのスタジオでは、ディスコでも定番だった「バナナラマ」や「ボーイズ・タウン・ギャング」などのユーロビートの楽曲が流れ、多い時には100人近くの生徒が一斉にジャンプしたり足を高く上げたりして激しく動く“熱狂空間”だったそうです。
「当時のインストラクターは、まだ指導方法が確立されていないこともあり“先生”というよりも“憧れのアーティスト”のような存在。彼・彼女らは自らレコード店に通い、オリジナルのミックステープを作って自身のプログラムに使用しました。生徒達よりも派手なウエアをまとい、掛け声でエアロビクスを盛り上げたりと、ディスコで言うところのDJのような役割だったんです。カッコいい男性インストラクターに憧れてハマる女性も多かったんですよ!」(岩井さん)
しかし、1980年代後半に差し掛かると、激しい動きによりケガ人が出るといったトラブルが多発し、ブームは下火になります。各地のスタジオではアクションやステップの見直しが図られ、この頃からエアロビクスにおいて“健康”や“誰もが楽しめる”といった要素が重視されるようになりました。