戦後、独裁者ムッソリーニから解放されたある人物の骨壺を運ぶ物語。イタリア映画『遺灰は語る』が6月23日(金)、シネ・リーブル梅田などで公開されました。シネ・リーブル神戸、アップリンク京都で7月7日(金)から上映されるなど全国で順次公開されます。
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この映画の主人公は“遺灰”です。誰の遺灰かというと、20世紀イタリアを代表する劇作家で小説家・詩人でもあるルイジ・ピランデッロ。彼は1934年、ノーベル文学賞を受賞しました。今作はピランデッロの遺灰を入れた骨壷をめぐる物語です。
ピランデッロはノーベル賞を受けた2年後に亡くなりました。当時イタリアでファシズムを推し進めた独裁者ムッソリーニは、ピランデッロの葬儀を盛大なショーにしようと目論みます。
「ファシスト式の葬儀だ。盛大にやるぞ!党の旗、枢機卿に楽団、すべて用意しろ。ノーベル賞のメダルを目立つところに飾れ!」
ところが、ピランデッロの遺言にはこう書かれていました。
「私の死は密やかに、体は裸のまま布でくるみ、いちばん粗末な霊柩車に乗せるのだ。火葬にし、遺灰は直ちに撒くこと。それが叶わぬなら、遺灰をシチリアに運んでほしい。生まれ故郷の野にある岩石の中に閉じ込めてくれ」
ピランデッロの古里はイタリア南部シチリア島でした。ムッソリーニは激怒します。
「愚か者め」
ピランデッロは火葬されたあと本人の遺言通りにならず、骨壷がローマの墓地に納められます。そのまま10年間、安置されました。
戦争が終わり、時代が変わります。ピランデッロの遺灰はようやく故郷シチリアへ帰ることになりました。ローマに、シチリア島アグリジェント市から特使の男性がやってきました。特使はピランデッロの骨壷をシチリアに運ぶという重要な任務を担っています。
戦後、就任したデ・ガスペリ首相の取り計らいで、ピランデッロの骨壷はアメリカ空軍機が運んでくれることになりました。空軍機の機内で特使は骨壷の入った木箱にぴったりと寄り添い、着席します。
男女が数人、機内に入ってきました。彼らもこのフライトに同乗するようです。眼鏡をかけた紳士が、特使に近づいて声をかけました。
「ちょっと失礼。これはピランデッロ先生のご遺灰では?」
特使が答えます。
「いかにも」
会話を聞いた同乗者たちは驚き、「飛行機に死人が?」「縁起が悪い」と怖がって次々と降りて行きました。空軍機の機長はこの様子を見てフライトを取りやめてしまいます。
そこで今度は列車で陸路、遺灰を運ぶことになりました。長い旅路、列車内はほぼ満員です。それなのに特使がちょっと目を離したすきに、遺灰の壺を入れた木箱がこつ然と消えてしまいます……。