【タイムテーブルインタビュー完全版、2023年7・8・9月度】
日本のジャズ発祥の地・神戸で2015年10月にスタートした『KOBE JAZZ-PHONIC RADIO』。地元・神戸出身のトランぺッター・広瀬未来、サックスプレイヤー・高橋知道、ボーカリスト・たなかりかという、3人の実力派ジャズミュージシャンが、ジャズの魅力を言葉で、時には演奏で、さらには笑いも交えながら楽しく伝えています。神戸ジャズ100周年となる今年も、もちろん番組は継続。その魅力や聴きどころなどについて、お三方に話を聞きました。
――2015年からはじめられた『KOBE JAZZ-PHONIC RADIO』は、ジャズ番組らしくないジャズ番組と言われています。どういう意味でしょうか……。
【広瀬】 プロデューサー、ディレクターのディレクションもありつつ、身を削って、プライベートを削るというもので。特に高橋さん……(笑)。
【高橋】 だいぶさらけ出してます……(笑)。
【広瀬】 そうです! 笑いをとる番組です! それはともかく、僕はけっこうしゃべることが好きなほう。ラジオを聴いたというお客さんからは、「人どころを知れてよかった」、「そんな人やったんですね」、「もうちょっと怖い人だと思っていました」とよく言われます。それが番組をやってよかったことかな……。たなかさんも言われませんか?
【たなか】 言われます(笑)。
――『KOBE JAZZ-PHONIC RADIO』は、当初、ナイターオフ期間の少しの間だけの番組だったところから始まりました。そこから今年10月でまもなく8周年を迎えますが、忘れられない出来事などありますか?
【広瀬】 僕が個人的に覚えているのは、最初の公開収録。わちゃわちゃしながらも、しゃべるのはちょっとビビりつつもなんとかできて、普通にライブしただけなのですが、すごく皆さんが喜んでくださって良かったなというのを覚えています。その後、2~3週間、お二人(高橋、たなか)がいなくて、僕となっちゃん(池田奈月、ラジオ関西アナウンサーで番組開始当初の進行役)だけだったんです。そのときに、「(ラジオスタジオには)リスナーはいないけど、真横で聴いているような感じでいるから」など、ラジオとは何たるものかを教えてもらったんです。(池田は)僕にとっての心の師匠。最初のあの2回くらいは忘れられないですね。スタジオで2人、ほぼ初対面の人としゃべることになったのですが、(緊張を)ほぐしてくれたり、時間も見てくれて……。感謝していますし、(番組の)立役者の1人だと思っています。
――今年は神戸のジャズにとって100周年という特別な年。神戸とジャズについて感じる思いや、思い出は?
【広瀬】 神戸はとにかくジャズのイベントが多い街。「神戸ジャズストリート」に高校生バンドで出演したときからその思いは強いですね。当時もらえたフリーパスを使っていろんな演奏を見て、最後「SONE」(神戸・北野坂のジャズライブ&レストラン)に入っていったら、そこにいた顔見知りのミュージシャンに「こっちへ来い!」と言われて、その場で演奏したことがありました。そのようにステージが“近い”ところや、(当時は)実力的にはまだまだでも「あっ、この人たちと演奏することができるんや!」と思えたことはいい思い出であり、そういうのは神戸じゃないとなかなかないこと。(神戸のジャズに)僕はすごく感謝しています。
【高橋】 神戸は、たとえば新年会などでも、「神戸でやるんやから、ジャズを入れなあかんやん」と、花や装飾品を増やすよりも、音楽、ジャズを優先するというイメージがある街で、北野坂などどこに行ってもそう。企業さん、イベントなどを含め、みんなが協力的にジャズを入れようとしてくれるのを感じます。ほかの街でそういうことはあまりないし、その(ジャズイベントや演奏会などの)量はダントツで多いですね。