【橋本】 古い曲とは知ってましたが、時代背景まではちゃんとわかっていなかったです!
そういえば当時のダンスって基本的にペアダンスですよね? 今も社交ダンスはあるけど、みんながペアダンスで踊っていた時代ってすごいなと思います。私はちょっと抵抗あって……(笑)。ダンスホールに来た人たちはどんな感じでペアになるんでしょうか?
【中将】 その場で気の合う相手を探したり、ナンパ的な流れもあったみたいだけど、ダンスホールに務めている女給さんに相手をお願いすることも多かったようです。前売りのダンスチケットがあって、それを渡せばペアになってくれたみたいです。
【橋本】 なるほど~! すごくイメージが湧きました!
【中将】 そんな若者のダンス事情ですが、1950年代後半から男女平等意識の高まりも手伝ってか、ひとりで踊るダンスが流行し、主流になっていきます。男性のリードがなくても、女性がひとりで踊れる時代になったわけですね。具体的に言うと、エルヴィス・プレスリーらのロックンロールが大流行した後、1960年代初頭に黒人シンガーのチャビー・チェッカーによりツイストというダンススタイルが注目されます。日本でもこんな曲が流行しています。スリーファンキーズの「でさのよツイスト」(1962)。
【橋本】 「でさのよ」って一体なんなんですか?
【中将】 「ですます」と同じようなものですね。当時の若者の間で、話し言葉の語尾に「でさ」「のよ」と付けるのが流行ったので、そういう若者的なフィーリングを表現したかったのだと思います。ちなみに当時のスリーファンキーズには後年、ドラマ『水戸黄門』(TBS)でうっかり八兵衛役を務める高橋元太郎さんが所属していました。
【橋本】 なんと! あの方が当時は若者の代表みたいな曲を歌われていたんですね……。
【中将】 1950年代から1960年頃にかけて日本の音楽シーンでは毎年のようにニューリズムと呼ばれる新たなダンスミュージックが流行したのですが、ツイストもその1つですね。大半はアメリカの流行をそのまま焼き直したものだったけど、中には日本で生まれた独自のニューリズムも存在しました。その代表的なものがドドンパ。4拍子の2拍目に大きなアクセントが付く、大阪発祥のちょっとユニークなリズムです。ドドンパの曲と言えば、渡辺マリさんの「東京ドドンパ娘」(1961)。
【橋本】 「大阪発祥」と聞くと、なんだかお笑いチックな気がしてしまいます(笑)。
【中将】 大阪のナイトクラブ「アロー」にいたフィリピンミュージシャンたちによって生み出されたようです。1950年代末頃、チャチャチャというラテンのダンスミュージックが流行ったのだけど、当時の日本人には2拍目で始まるステップをするのが難しかった。それで、2拍目を極端に強調して演奏するうちに、別物のリズムであるドドンパができたということですね。
【橋本】 なんだか悲しい発祥ですね……。
【中将】 ドドンパはニューリズムとしてはめちゃくちゃヒットしたほうで、その後も歌謡曲のリズムパターンとしてたまに応用されていますが、ほとんど顧みられていない使い捨てのニューリズムもたくさんあります。パチャンガ、スクスク、マッシュポテト、スイム、ゴーゴー、バウンド、ブーガルー……。
【橋本】 どれもまったくピンとこないですね……。
【中将】 そうだろうと思います。でも今、挙げたものはまだ有名なほうなんですね。もっと意味わからないのも山ほど……。どれもだいたい「アメリカで流行!」という触れ込みでキャンペーンが打たれましたが、思い付きで作ったインチキなものも多かったようです。いくらインターネットのない時代だからとはいえ、当時の音楽業界のいい加減さがよくわかりますね。
さて、気を取り直して次のニューリズムを紹介しましょう。当時、舟木一夫さん、西郷輝彦さんとともに「御三家」と呼ばれアイドル的存在だった橋幸夫さんで「恋をするなら」(1964)。サーフィンというニューリズムを取り入れた歌謡ポップスです。