ダークサイドに落ちて…「気持ちいい役」 文楽の竹本織太夫インタビュー 22日からの夏休み公演前に | ラジトピ ラジオ関西トピックス

ダークサイドに落ちて…「気持ちいい役」 文楽の竹本織太夫インタビュー 22日からの夏休み公演前に

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 昼の炎暑が残る午後6時半、国立文楽劇場(大阪市中央区)の幕が上がる。夏休み文楽特別公演、夜の部「サマーレイトショー」だ。今年のプログラムは、人気の高い「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」。山場となる「長町裏の段」で主人公の団七九郎兵衛を語るのは、同作にゆかりが深い六代目竹本織太夫(たけもと・おりたゆう)。22日からの開幕に先立ち、織太夫に役への向き合い方などについて話を聞いた。

六代目竹本織太夫(国立文楽劇場にて)
六代目竹本織太夫(国立文楽劇場にて)

「夏祭―」のクライマックスシーンの舞台は、同劇場にほど近い、高津宮周辺の田んぼ。高津宮の夏祭り宵山の晩、魚売りの団七(織太夫)は、金に汚い義父に挑発され、発作的に義父を刺してしまう。にぎやかなだんじりばやしが聞こえる中で繰り広げられる殺しの惨劇は、激しい展開とともに、団七の変化する内心をこまやかに描き出さねばならない。

 役作りについて尋ねると、織太夫は「(当初殺す気はなかったのに、義父ともみ合ううちに)血のついた刀を見てハッとする…」。動揺で手がカタカタカタと小刻みに震え、しばらくの沈黙。「ここで闇落ち、つまりダークサイドに落ちていく…」と、神妙な表情。

 その「沈黙」の長さは、日によって異なるのだという。師匠から受けた「お前が団七としてハラが決まるまで」とのアドバイスを胸に刻んでいる。役を作るというより、その時の自身の直感に身を委ね、団七そのものになりきる姿勢が伝わってくる。

 闇落ちした後の台詞「どっくわば(毒食はば)」との絶叫も実演してくれた。部屋全体が揺れたのではと思うほどの大迫力。「ど・く・く」とおちょぼ口になる音が3つ続くため、「口がすぼまらないよう息を吐いて発音する、代々の口伝を受け継いでいる」と明かす。「歌舞伎では『親父さん、許してくださんせ』だが、文楽では『毒食はば皿』。詞章のすごみが感じられ、やっていて気持ちいい役です」とかみしめるように話す。

「長町裏の段」を語る竹本織太夫(令和3年7月撮影 国立文楽劇場提供)
「長町裏の段」を語る竹本織太夫(令和3年7月撮影 国立文楽劇場提供)

 ミナミで生まれ育ち、大阪以外には住んだことがない。高津宮の夏祭りには幼少時から毎年欠かさず足を運んでいるといい、「あの蒸し暑さ、熱気が肌感覚で分かる。作品のにおいがする場所で育ったことは、大きな財産と思っています」とうなずく。

 祖父の二代目鶴澤道八、伯父の鶴澤清治はともに文楽の三味線弾き。祖父は織太夫も三味線弾きにしたがったが、幼い本人の関心は三味線でなく、その横に座る太夫に注がれるように。1983年、8歳で豊竹咲太夫に入門、「豊竹咲甫太夫」との名をもらい、10歳で初舞台を務めた。

 それ以来、ずっと文楽漬けだったわけではない。父は「学生時代は好きなことし(たら良い)」と言ってくれた。その言葉に背中を押され、アメリカを縦断、横断。ハワイでホームステイも経験した。スコットランドのエジンバラで暮らした際は、週末になると大英博物館へ。ルーブル美術館に入り浸った時もあったという。「『友達を作りなさい、世界を見てきなさい』みたいな感じで、送り出してもらいました」。

 だが学校を卒業後、本格的に文楽の世界に入ってからは「10年間くらいの記憶がない」と振り返る。ひたすら本を読み、勉強して、覚えて…という日々。目の前にあることをずっとやり続けている状態で、「休みを取った記憶もなければ、旅行も行ったことがない。芸能にどっぷり。気付いたら33歳くらいになっていて、浄瑠璃オタクになっていた」。かつて趣味があったはずなのに、「趣味がなくなっていたんです」と笑う。

幼少時代、小唄の発表会で(織太夫さん提供)
幼少時代、小唄の発表会で(織太夫さん提供)
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