また、中堂のヒノキの厚板から風雨にさらされた跡が確認された。この厚板が、かつて屋根に使用されていた可能性が高いとみている。
鳴海氏は、「現代ならば、瓦葺きがスタンダードだととらわれるかも知れないが、当時の最高の工法が板葺きだったのでないか。財力が豊富だった平等院が、瓦を調達できなかったということも考えにくい。そして、単なる板(木)として用いるのではなく、瑠璃色や金箔の装飾を施しやすいという点に着目したのではないか。ただ“雨ざらし”になることも想定し、現実的に装飾はできなかったかも知れない」と考察する。
その上で、両氏は創建当時の鳳凰堂は“瓦葺き”と“板葺き”、この2つを調和させていたと結論づけた。実際に総瓦葺きとなったのは、創建から50年後、1101(康和3)年の大修理だったとみられる。
平等院の神居文彰住職は「上層部分の豪壮な瓦葺きと、中層部(裳階)の柔らかな板葺きが調和した“ハイブリッドな”美しさをかもし出している。『ロスト・テクノロジー(過去に存在したが、何らかの理由により後世に伝えられなかった技術)』の再建にもつながるかも知れない。さらなる調査、研究を進めたい」と話した。